うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

密教 ― インドから日本への伝承 松長有慶 著

この本は、「密教」自体に興味がないと読めない濃さです。
サブタイトルに「インドから日本への伝来」とありますが、インド→中国→日本への伝来と、その歴史のなかで語り継がれるたくさんのお坊さんのエピソードが書かれています。


今回は5箇所、引用して紹介します。


密教教典のなかに多く書かれる阿闍梨と弟子について、(いわば上司力と部下力のようなことですね)の基本的な形として、「大日経」のなかの説を引用しています。ここでは、「阿闍梨たる者は・・・」で始まる内容よりも、弟子の選び方の記述のほうが弟子的には参考になるので、そっちを引用します。

<50ページ 『阿闍梨と弟子』より>
「まず弟子としては、宗教的な能力に秀で、罪とか過失を犯さず、信仰心が厚く、理解力もすぐれ、他人のために喜んで努力する者が最適である。このような者を見かけたならば、むこうから求めてこなくても、阿闍梨はかれを呼びよせなければならない。」

適切な人をピックアップするセンス、が師には必要なのですと。この点において、どっかしらん海外からやってきた空海さんに対して、「キターーー!!!」と感じた恵果師はすごいんだなぁ。



以下『羅什訳の「龍樹菩薩伝」』に記載されているエピソード(龍樹=ナーガールジュナ)

<112ページ 『羅什訳の「龍樹菩薩伝」』より>
龍樹は南インドバラモンの子として生まれ、幼時よりバラモン教の学問をはじめ、あらゆる学識を身につけ、それぞれにすぐれた才能を示した。青年時代に友人三人と相談し、隠身の術をもって王宮に入り、女官をことごとく犯したが、遂に露見し、龍樹だけがあやうく助かった。そこで情欲が苦の原因であると悟り山に入り、仏塔に参り、戒を受け出家し、九十日の間に小乗仏教をすべて読みおわった。さらにヒマラヤ山中の仏塔において、一人の老僧から大乗仏教を与えられたが、充分その深い意味に気づかなかった。

(秘蔵の大乗仏教が龍樹にはじめて開示されたという話の意味が深い、といった内容が続く)
秘蔵の大乗仏教が龍樹にはじめて開示された。。。うんぬんよりもですね、"青年時代に友人三人と隠身の術をもって女官をことごとく犯した"ってとこに着眼すべきでしょう。伝説の人にも、毎度おさわがせします的なことがあったのかと。(別に密教を軽視しているわけではありませんので。誤解なく・・・)

<132ページ 『漢文資料よりみた龍智伝』より>
玄奘三蔵の伝記である「大唐大慈恩寺三蔵法師伝」二、「大唐故三蔵玄奘法師行状」にはつぎのような記事がある。磔迦国の東の端にある大菴羅林に、顔は三十歳くらいにしか見えないけれど実際は七百歳になる一人の婆羅門の坊さんがいた。かれは「中論」「百論」などの仏教の論典と、ベーダに通じ、龍猛の弟子といわれていたが、玄奘はこの人について、「中論」「百論」などを学んだ。

この「婆羅門の坊さん」は間違いなくヨギですね。普通そんなにサバ読めない。

<222ページ 『玄宗みずから碑銘を撰す』より>
七二七年(開元十五)年九月、一行禅師は長安華厳寺で重病の床に就いた。(中略)十月八日、禅師は身に病気はなくなり、口に一語もなく、香水に浴し、浄衣を着て趺坐正念しながら、泰然自若として四十五歳の短い生涯を終った。臨終から葬儀まで三週間もたってもなお爪の甲は変らず、髪とひげは伸び、あたかも生きた人のようであった。(「碑銘」)多くの人たちは悲しみにくれながらも、不思議なことだと語り合ったという。

(この後、一行禅師の徹底的な「権力アレルギー」のエピソードが続く。これも、面白い)
きましたね。一行禅師、ヨギですねぇ。ファンになっちゃった。

<254ページ 『付法の意義』より>
密教を法華と同一基盤において取り扱おうとした伝教大師は、弘法大師から密教教典を借覧することによって、密教の本格的な学習を志した。ところが「理趣釈経」の問題が端緒となって、密教経論の借用願は拒絶された。その理由は密教の伝達方式を弘法大師は面授のみとし、伝教大師は筆受によっても可能と考えたところにある。両者の密教に対する考えかたの基本的な相違が、この問題を機会に表面化したと考えることもできる。

最澄伝教大師)と空海弘法大師)については、以前読んだ「仏教発見」という本に、最澄サイドからの視点で「空海最澄に行った拒絶はかなしい。空海にはそんな(拒絶の)手紙を書いて欲しくなかった」といったことが書かれていましたが、空海さんをヨガ宗として見た視点では、「そりゃ、そーでしょ」という感覚。
空海さんが具体的にどんな真言マントラ)や瞑想、アーサナを行じていたかはわかりませんが、「行じていたこと」だけは確かであり、そこが核ということ、ただそれだけなんじゃないかなぁ、と。
最澄空海、どちらに萌えるかというのは、密教について関心を持つ人のなかでは「巨人ファンか阪神ファンか」くらいの熱い議論が交わされがち。理解は人それぞれなのでしょうけれども、瞑想も真言アーサナも未体験のままに、頭だけで最澄さんの価値観に共感している人は、とりあえず何年かヨガしてみましょう! 空海さんの伝えたかったことが、体で感じられる日が来るかもしれません。


空海さんについては「伝説の天才」といった視点で書かれた本が多いですが、この本では密教の歴史を時間軸で学ぶことができてよかったです。とってもためになりました。