日本の南国の話です。タイ旅行中に、暑い日に読みました。
この物語の世界観とタイで時折見かける裏の一面が妙に重なって感じられて、どんどん読ませる村社会心理サスペンスの世界に没入しました。
ここでは、そういうことになっている。
ここで一般論を持ち出してもしょうがない、そういう場面で感じる絶望の描きかたが、現代の中高年が自分の意見を明確にしないまま擦り寄ってくるときの薄っぺらい “意識高い系? アップデート系?” の視点ではなく、"普通に昭和の男性視点" なのがよいです。
組織への忠誠心に対する葛藤と、俺はそれが理解できるというポジションをとる虚栄心の狭間でどうにもならない現実に対峙する、逃げられない感じがとってもリアル。
この物語には日本人の心をギュッと凝縮した残酷さと諦めと切り捨てがあって、石原慎太郎という人の書いた小説を読んだのはこれが初めてだったのですが、自民党の議員をやりながらこれを書いていたのかと正直驚きました。
狭い世界を守りたい、守らなければいけない人との断絶と絶望。こういうことって、古い体質の人と関わる仕事をしていたらかなりあることだと思うのだけど、あれだけ男性社会にどっぷりいながら “残酷なこともなかったことにできる組織の病理” を小説家として書いている。
著者は世間からマッチョイズムの権化みたいに見られていたけれど、それも一面でしかないんですよね。
夏目漱石が『三四郎』という小説のなかで広田先生に言わせている「日本より頭の中のほうが広いでしょう」という言葉を思い出しました。
「知りすぎないほうがいいよ」という脅しを読み取る力は、この国に限らず組織に属して生きていく上で欠かせないもの。
著者はそういう読解力に長けた人だったという見方をしてみるといろいろ納得できるところがあって、ほかの小説も読んでみたくなりました。