たとえば「疑心暗鬼」のようなダークとされる心のはたらきを止めることは可能かということと、感情を持たずに生きていくことは可能かという問いがイコールではないことは、もちろんそれはそうなのだけど、そうなのだろうけど・・・、そこについてひとりで突き詰めるのはすごくむずかしい。
この小説「杜子春(とししゅん)」は子供向けに書かれた童話。子ども向けの内容のまま読めばそれはもう模範的な、教科書に載るような物語です。これを大人が読むと、どうか。わたしは複雑な、少し苦しい気持ちになりました。童話って、いま読むと多くはそういうものなのかもしれません。
この物語は二次創作でもあります。そのやりかたに、わたしは少し思うところがありました。「ハッサン・カンの妖術」を「魔術」という童話にしたときの芥川龍之介のやり方にはただ尊敬しかなかったけれど、「杜子春伝」を原作としたこの「杜子春」はやりすぎではないか。原作のあらすじを読んでそう思いました。「日本式よい子テンプレート」に主人公を乗せ換えすぎのような気がして。
わたしはそれらを比べた内容をウェブで読んだのですが、原作の「杜子春伝」を強引に童話にするのはアリなん? 原作の「杜子春伝」は情と愛の境界を説くかのような鋭い内容で、エーリッヒ・フロムの「愛するということ」を想起するような、そんな物語です(参考:明治大学の教材集サイト「日本と中国、二つの「杜子春」)。
日本式「よい子テンプレート」
この縛りを自分で強化して生きていくのが苦しくなったのではないの? 芥川龍之介はこの小説を28歳の時に書いて35歳でこの世を去っているから、ついそんなふうに考えてしまう。理想的な人格形成を思案しながら、そのもう一つの面に自分自身が絡めとられていく。そんな社会の現実を見たような気がして。
「愛」から「忠」へ、うっかりすると微妙に軸がずれていく。よくある感情ではあるけれど、この戒めは大人が読むほうがグサグサきます。
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