うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

小津映画 粋な日本語  中村明 著

小津映画を何度も観てきた日本語学者さんによる、昭和のコミュニケーション解析。
昨年末から中毒のように小津映画にハマってやっと一段落し、この本を何度も開きました。初回はまだ頭の中にセリフのトーンが残っていたので、脳内で音声が再生され、二度目以降でやっと分析的な頭で読むことができました。

 

この本を読んでいると、昭和の時代に「風通しのいいコミュニケーション」として美化されたものが現代ではモラハラ的なものを大きく孕んでいて少しゾッとするのですが、それでもわたしは、強い立場の人間が弱い立場の人間に向かって「言わなくても察しろ」というのと同じくらいかそれ以上に「言わなくてもわかっているよ」と、その気持ちを伝える言葉を発してくれる小津映画のセリフが好きです。
家庭や近所にこんな年長者がいたら、理不尽なことに耐えながら、それでも人を信用できる大人になれただろうと思う、そういう人物がたくさん出てきます。

 

この本を読むまで知らなかったのですが、わたしが小津映画の脇役の中で一番好きな人・菅原通済さんが実業家・随筆家で本職が俳優でないことに驚きました。
多くの映画に 酒場で飲んでいるオジサマの一人として登場しているのですが、『早春』での飲み方&去り方が異様にかっこよくて、『お早う』では一億総白痴化の話をする。セリフはほんの少しだけ。登場時間も1分あるかないか。こういう人が常連になるなら、ここは間違いなくいいお店だと思わせるキング・オブ・常連客。髪型も服装も佇まいもセリフも飲み仕草も完璧で、今の時代だったらファッション・ブックが出ていそう。

 

会話についての説明では、そういう意味だったのかと文字で読んであらためてわかったことがいくつもありました。『晩春』で紀ちゃん(原節子)の言う「つながった沢庵」の比喩の意味は、字幕付きで観ていてもわからずスルーしていました。遠回しすぎて気づけなかった。

他の人の解釈例が読めるのも興味深かったです。脚本家の山田太一氏が最初に『東京物語』を観たときに、紀ちゃん(原節子)の言う「あたくし狡いんです」を ”相手が打消すのを見越した偽善の言葉” で、その行為こそ狡いと思ったという話が面白くて。
わたしもずっと半分くらいそう思っていて、え? 普通にそうなんじゃないの? と思っていました。そして、それも見越したうえで笠智衆が「やっぱりあんはええ人じゃよ、正直で」と尾道弁で言うあの感じが、もうたまらん!(思い出すだけで泣きそう)と思っていました。

もう半分は、こんな仮説を持っていました。紀ちゃんは寂しいけれども結婚という行為をしたくなくて、かといって実家との距離が戻るのも面倒。死んだ夫のことが忘れられない体裁は好都合で、なかなか手放せない。それを利用している自分を狡いと認識しているという意味だと思っていました。

これは、それまでの二作(『晩春』と『麦秋』)の紀ちゃんのイメージと、のちに『秋日和』『小早川家の秋』で原節子が演じた人物が放つセリフからの想像。
この本の中では、そのあと山田太一氏の理解が変わったという話が書かれていました。
ちなみにそれを読んでも、わたしの上記の解釈は変わりません。小津映画は、そういう打算も人生にはあるよねと思わせる余白が最大の魅力じゃないかと思います。

(小津映画を観た後に同世代の女性と話すと、ものすごく盛り上がる!)

 

好きでハマったものについて誰かと話したい気分だったので、ものすごく楽しく読みました。
セリフを読んだだけで何度も泣けたり笑えたりします。

 

小津映画 粋な日本語 (ちくま文庫)

小津映画 粋な日本語 (ちくま文庫)

  • 作者:明, 中村
  • 発売日: 2017/02/08
  • メディア: 文庫