身近な人々について主体的に理解するために、読んでよかった。これまでモヤッとしか捉えられていなかった、人生を豊かにしてくれる「友」の定義が見えてくるすばらしい指南書でした。
大切なのは、友人のようで友人ではない存在を見分けること。
端的にいうと「似て非なる友」は、自分がうまくいっていないときに寄り添ってきて、頑張らない方向へ促してくれる存在。この本では「追従者」「へつらい屋」と表現されています。
プルタルコス先生はこの違いを匂いに喩えて、友人の種別を説きます。
一緒にいて気持ちが良いという点で追従者と友人は似ているけれど、実際はこのように違うと。
その気持ちよさが何を目標にしての気持ちよさなのか、その違いです。こういうふうに見たらよいでしょう。香水にはよい匂いがあります。薬にもよい匂いがあります。違いは、一方はひたすらに快感を得るために作られたのに対して、もう一方は体内を浄化するとか、体を温めるとか、筋肉をつけるとか、それが主たる効能で、匂いがよいというのはつけ足しだという点です。
(11より)
この的確さよ。
追従者・へつらい屋の見抜き方として、こんなことも書かれていました。
自分の性格を自分の持ち家一つに定住させているわけでもなく、自分が選んだ生活をしているのでもなく、自分を他人に似せ、他人とよくあうようにしているだけなので、単純で常に同一というわけにはいかず、実に多種多様に次から次へと姿かたちをかえる
(7より)
わたしはこの『似て非なる友について』を読みながら、ある小説に出てくる友人関係を想起していました。
ヘルマン・ヘッセの『シッダールタ』に登場する、主人公とその友人ゴーヴィンダの関係です。
彼らは友人として最初から描かれているけれど、ゴーヴィンダはリーダーやグルを見つけては追従しに行くへつらい屋で、最初は友人をその対象にし、まるで部活をやめる桐島の影を追いかけるように見ています。
ずっと気持ち悪いと思っていたゴーヴィンダへの自分の感覚が、このエッセイを読む中で整理されていきました。
この本には4つのエッセイが収められているのですが、そのほかの3つは以前紹介しました。心身の健康についてのすばらしい考察が展開されています。