うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

眞子さまが「サバイブしたバージョンの藤尾ちゃん」に見えた昨日のこと

昨日思ったことを書きます。久しぶりに、わりとリアルタイムで考えたことをアップしています。

この話は夏目漱石の『虞美人草』を読んでいないとまったくわからない内容です。

 

 

わたしは皇室のニュースをざっくりとしか追っていなかったので、会見で話されていた誹謗中傷の流れやムードを詳しく覚えていないのですが、ご本人がお話しされている姿と言葉から、こんなことを想起しました。
眞子さまが眞子さんになった日の会見を見て、藤尾ちゃんがサバイブしたバージョンを見せてもらったように感じたのです。もうこれは、超・超・超、私見です。

 


藤尾ちゃんというのは夏目漱石の『虞美人草』に出てくるヒロインで、当時にしては珍しかったであろう、華と意思の両方を持ち合わせた女性です。
この小説が新聞連載された頃、世間では藤尾ブームが起こり、百貨店では今でいう「藤尾フェア」が起こったほどだと何かの本で読みました。

 

藤尾ちゃんと眞子さんは境遇もキャラクターも全く違いますが、彼女を取り巻く関係性にいくつかの共通項があります。わたしは『虞美人草』を読みながら「どうする藤尾ちゃん、どう捉え、どう乗り越える?」と息をのみ、最後に「ギャーーーン! 結局それか〜」となったので、眞子さんのような女性が皇室から出てきたことに感動しました。

 


<冒頭にも書きましたが、今日の話は夏目漱石の『虞美人草』を読んでいないとまったくわからない内容なので、この先を理解したい人は小説を読んでください>

 


今回わたしが『虞美人草』を思わず想起したのは、主に以下の3点からです。
1)過去の金銭問題と未来の結婚が境遇として地続きで語られること
2)真面目な生き方を問う形での干渉・誹謗中傷があったこと
3)心のために=生きるためにという命題を突きつけてくれたこと

 


虞美人草』は、読むとものすごくモヤモヤする小説です。
自分が自我だと思っているものはまだまだ甘く、承認される対象ありきの自我というのはこういうものだぞと、それを意地悪なくらい夏目漱石が書ききってくれています。

女性たちが「庇護下×献身」の生き方をベースとした上で、魔性やしたたかさを発揮し、周囲の同情を買いながら庇護下の利をがっちり得ていくために、さまざまな立ち回り方をします。

 


昨日、わたしと同じように『虞美人草』を想起した人って、他にいないかな。
真面目な生き方を他者に強要することは人権侵害にならないのか。真面目ってなに。誠実ってなに。それを集団の力で形成していくときにレフェリーはいなくて大丈夫なの?
こんなふうに『虞美人草』と重ねながら状況を見ていたわたしにとって、宗近的なやり方を「誹謗中傷と捉える」と、それを受けとった側が自己認識を表明したことはすごく大きなことだと思うんです。宗近というのは『虞美人草』の登場人物の名前です。
1907年の小説『虞美人草』を読むと、昔は公人でなくてもそれが受け入れるべき指摘として捉えられるものだった。そんな社会の状況がよくわかります。

 


冒頭にも中盤にも書きましたが、今日の話は夏目漱石の『虞美人草』を読んでいないとまったくわからない内容です。対象範囲の狭い話でごめんなさいね。今日は「宗近的なやり方・宗近的な執着」について、個人的な思いを書きたかったのでした。
本当に思ったことを書こうとすると、これくらいフィルタを厚く・細かくしないとダメなんです。

 

コロナ以前は、こういうところまで話せる仕掛けを「読書会」というシステムに乗せて、話せるヨギーのみなさんと ”心” の話をしていました。なつかしいな。
6年前に、関西でこんな話をしていました。

 

夏目漱石の小説はどれも青空文庫で読めます