うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

小説『本心』を読んで考えた、唯物論的スピリチュアルのこと

先日、『本心』という小説を読んだ感想を書きました。

 

 

さまざまな社会テーマが含まれる長い小説だったので、思ったことを全部書くと止まらない感じでした。
人によって、気になるところが全然違うのだろうなと思うくらい、要素の多い物語。

 


その中でも、わたしは主人公(29歳の男性)と、亡くなった母親の同僚(30代前半の女性)の会話のなかに、二つ大きく気になるところがありました。

 

母親の同僚女性の三好彩花さんは、格差社会の中でお金の心配をしなくていい人生を手に入れた人を「あっち側」、そうでない人を「こっち側」と線引きするのが考えかたの癖になっていて、その時々で主人公をあっち側に置いたりこっち側に置いたりします。
それは気分ではなく、トピック次第。生活やお金の話になると、それがわかりやすく出ます。お金のある人の前では主人公を仲間側に置き、そうでない時には「あなたはそっち側だからいいよね」と、自分が弱者側であることを強調して切り離します。

この三好さんの感覚が、わかりあえなさの核になっている。

 


三好さんは、死への恐怖があると言います。
そして、

「死後の世界って、この世界よ。わたしがただ、火葬されて、骨と灰と二酸化炭素になっちゃうってだけで。」

と、このように物質的にはドライでありながら、日常で仮想空間アプリ「縁起 Engi」の世界に没入することで癒やしを得ています。

 

そんな三好さんに主人公は矛盾を感じて突っ込んで訊いてみるのですが、そのやりとりが、すごく「あるなぁ、こういう感じ」と思わせるものでした。
こんな会話があります。

「そこまで知ってるなら、”死の一瞬前” に天国の仮想現実とか見ても、意味ないですよね。」
「そうでもないと思う。その瞬間に、錯覚でも心地良くなれるなら。—— だって、宗教だってみんなそうでしょう? ありもしない天国の話で、死の恐怖を慰めてるんだもの。ヘッドセットつけて、夢のように美しい仮想空間の光景を見ながら死ぬのと同じよ。それが悪いって言ってるんじゃないの。宗教って、人生にいいことがなかった人のためのものでしょう?」
(第八章 転落 より)

主人公の「意味ないですよね。」と、三好さんの「宗教だってみんなそうでしょう?」「宗教って、人生にいいことがなかった人のためのものでしょう?」が、わたしにとっては既視感の最大公約数。
ヨガのヒンドゥー教に近い儀式の面、あるいは精神面で仏教に近づいていく人に向けられる視線に、こういう感じはよくあること。そういうほんのりとした心の分断を、そのままほんのり描いている。

唯物論者の三好さんが、いわゆる「親ガチャ」からはじまる格差社会に絶望しているという設定も、現代の不安を象徴的に描いてる。

 


三好さんの思考の矛盾と、そこに対してツッコミながら聞き入ってしまう主人公のやりとりが、全般、すごくいい。
しかもこの二人はネットの世界と共存しながら、饒舌なだけのインフルエンサーのような人物に影響を受けない堅実さを持っています。2040年代にはもうそういうカルチャーは滅している前提なのか。


亡くなった母親が心酔していたと思われる作家・藤原の思想ついて、少し前の章でこんなやりとりがあります。

「知ってる、あの人の考え方? “心の持ちよう主義” だって。」
 僕は、説明を聴かずとも察しのつく、その気の滅入るような「主義」に、知らないというより、拒絶の意味を込めて首を振った。そして、「何でも “心の持ちよう” 次第ってことですか?」と嘲笑混じりに言った。
 それは、昨今、遣る瀬ないほどに広まっている、一種、流行の考え方だったが、元を正せば、藤原の言い出したことなのだろうか? 特段、新しくも何ともないご託宣だったが、豊かな時代に聞かされるのと、今の時代に聞かされるのとでは、まるで意味が違うはずだった。
(第五章 心の持ちよう主義 より)

この部分を読みながら、スワミ・ヴィヴェーカーナンダの本を読んだ初期に感じたことを思い出しました。
心のはたらきについてあらゆる角度から紐解く内容に驚きながら読んでいたら、あるQ&Aの回答の部分で聴衆が危惧していることが人口増加と食糧危機であることを知り、「1940年代にここに救いを感じたのか」と思った、そんな経験があります。
人口減少を問題視するいまの時代を生きるわたしに、人口増加を危惧する時代の説法が響いた。

 

 

さて。それでね。小説の話に戻ります。
主人公と三好さんは、絶望と堅実さを共有しながら、卑屈ではない道を選んでいきます。嫌悪感情を代弁してくれるものに逃げません。わたしはここに、若さの力を感じながら読みました。

29歳にしては妙に判断が安定しすぎている主人公よりも、自分の絶望を自分の言葉で語る三好さんのほうが、その揺れにリアリティがあり、印象に残ります。
彼女の揺れを踏まえて尊重しようとし続ける主人公の態度は理想的だけど、それができるのは親子ではなく他人だからなのか、別のものが関係性の中に芽生えているからなのか。


この二人が堕ちていかないために “偶然のラッキー” がなかったバージョンの人生を想像すると、根本的な生きる力について考える課題を突きつけられます。
「現実はこんなふうに都合よくはいかない」と思うところから、考えるテーマが生まれてくる。
わたしは唯物論的なスピリチュアルに注目しているので、この小説の二人の会話をとても興味深く読みました。

 

本心

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