主人公と恋人のやりとりが始まったあたりから、どうなるんだどうなるんだ、この二人の考えはどう交わっていくのだと先が気になり、ぽんとその世界に放り込まれたように、あっという間に読んでしまいました。
オンラインサロンから広がっていったムラの描写には、実態は知らないけれどどこか既視感のある文字列がたくさん出てきて、しかも、"問題はそこじゃない感じ" が後になって見えてくる。
わたしは数年前にインドのオーロヴィルヘ行ったときに「もしも上九一色村がこんなふうにおしゃれだったら、オウム真理教に入信していたかも」と想像したことがあるのだけど、この小説ではその想像に近い設定がなされていて、引き込ぐっとまれる内容でした。
そして、オンラインサロンを生息地とすること以上に、もっと怖い考え方がある。主人公がそれに気づく流れがすごくよくて。
インパクトのある行動をとってきた人からの単なる世間話かもしれないメッセージに対して “以前よりはっきりと、返信したくない気分になった” と書かれているのだけど、単なる世間話を何年も続けられる人間関係を持っていることの大切さって、こういうときに際立ったりする。
「俺、負けてねーし」「あたし、別にうまくいってないわけじゃないんで」みたいな気持ちを自分で取り回すことができないと、どんどん孤立してしまう。
主人公が自身の苦い経験からある種の嗅覚を備えているという設定も、いいんですよね……。経験者だからわかってしまう理由は、発信者にとっては動画の情報力の怖さでもある。
決め手は、その目と口調から伝わってくる、復讐心の気配だ。
この見抜き方。
なんかよくわかんないけどどこかに当て擦ってるんだろうなーという気配は、御意見するようなコンテンツの場合はそれが効いたりもするけれど、「よりよいなにか」の提案に漂う場合は話が別。
わたしはヨガのインストラクターの自己紹介文に、かつてのライフスタイルを振り返ってその状況に自分を追い込んだシステムや組織への恨みが隠しきれていないものを見ると、これと似た気持ちになります。
かつての傷つきがなければ成り立たない動機づけの脆さって、どうしても付け焼き刃感が出ちゃう。いったん全部壊して再構築するくらいじゃないと。
この小説は、読みながら考えさせられるというよりも、読んだ後で、なんで止まらずに読み進めてしまったのだろう・・・と、後でぽやーんとする。グイグイえぐってくる感じではなくて、物語の断片が頭の中にふわっと残ったままになる。
仮想敵も具体的な敵も必要ないまま一緒に行動できることのありがたみというのは、どうにも言葉にしずらいもの。敵は断定しやすいけれど、敵でないものは断定しにくいというだけのことかもしれない。
このシンプルなことを、忘れてしまうことがあるのはどうしてだろう。いやぁね。