うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

「人間の絆」のフィリップの思考を追いながらモームの魅力を確認する

3年前になんとなく変なタイトルが気になって読んだ「夫が多すぎて」がおもしろくて、ここ数年で何冊かサマセット・モームの本を読んできました。
モームの本は読後にじーんと、ずっと覚えていたいような気持ちが起こります。
女性の気まぐれな身勝手さと男性の傲慢な身勝手さ、理想主義者と現実主義者を対照的に書くのがすごくうまくて、なのにちっとも強引じゃない。
自伝的小説と言われている「人間の絆」を読んだら、モームの人生の中には幼少期から観察し続けてきた身近な大人たちの宗教観への不信感と、医師という職業経験で得た死への諦念があることがわかりました。

こんな記述があります。フィリップは主人公の名前です。

フィリップは、彼自身の一生を振り返ってみた。人生へ乗り出した頃の輝かしい希望、彼の肉体が強いたさまざまの制限、友達のいない孤独、彼の青春を包んだ愛の枯渇。彼にしてみれば、いつも常に、ただ最上と思えることだけをして来たつもりだ。しかも、このみじめな失敗振りは、どうだ! 彼と同じように、一向取柄もなさそうな人間で、立派に成功しているのもあれば、彼よりは、はるかに有利な条件を揃えていて、それでいて失敗した人間もいる。すべては、まったくの運(チャンス)らしい。雨は、正しい人間にも、悪い人間にも、一様に降る。人生一切のこと、なぜだの、何故(なにゆえ)にだのという、そんなものは、一切ないのだ。
(下巻 107章)

太陽は照らす対象を選ばないと考えるポジティブさではなく、「雨は、正しい人間にも、悪い人間にも、一様に降る」という暗さ! 30歳くらいでこれをモノローグしちゃうなんて。

 


死の直前の聖職者に対しての質問を頭の中でだけする、こんな思いも綴られます。

今や肉体という彼の機械は、痛ましいことばかりに損耗しかけているが、果してこの最期に臨んでも、なお魂の不死を、彼は、信じているのだろうか? いや、おそらく魂の奥底では、神など、そんなものがあるものか、死後はただ虚無にすぎないという確信が、流石にいざとなってみると、口に出しては言えないが、横たわっているのではあるまいか?
(下巻 110章)

」という小説で展開されていたような、尊敬される仕事をしていると信じて疑わずに生きている人の気持ち悪さが、この「人間の絆」のなかでは若者からの視点で書かれています。わたしは上記の部分を読んだときに、その問いの容赦のなさに驚きつつ、大きなリスクをしれっと取りにいってもそれをメインコンテンツにしないところが粋だと、そんなことを思いました。若い頃から死に立ち会ってきた人だからかな。

 


この小説は長い長い物語。主人公は自我が余りまくる20代の時期に、友人知人の影響を受けながら無理やり思想を立ち上げていきます。自意識過剰な会話のラリーを通じて、それらしい人生訓を自分の中から編み出していく。
聖職者の家で育った主人公が、クロンショーという友人を得てその考え方にガツーンとやられてから、どんどんおもしろくなっていきます。

「つまり、人間て奴はね、意志は自由だという迷妄(イリュージョン)を、あまりにも深く信じこんでしまっている、だから、僕もまあ一応喜んで、それを受け容れている。そして、まるで自分が自由人であるかのように振舞うのさ。だが、さて何かをして、あとになって考えてみるとだね、要するに、それは、この宇宙、永劫の過去からのすべての力が、寄り集まって僕にそうさせたにすぎないんだ。僕がどうしようと、それを妨げることなど、とうてい出来やしない。全然不可避の行為なんだ。だから、それが善だったからって、功を主張することもできなけりゃ、悪だったからって、非難されるいわれはない。」
(上巻 45章のクロンショー)

道徳観と自我の間にある矛盾への向き合い方として、主人公はこの人物から大きな刺激を受けます。


そのあとの53章の主人公の自己の振り返りを読むと、モームの魅力の源泉に触れたような感じがします。
(以下いずれも上巻の53章から)

フィリップは、彼自身、いかに行動すべきかが、知りたかったのだ。周囲の人間の意見によって、影響されることだけは、絶対やめようと、彼は、思った。だが、それにしても、生きていかなければならない。そこで、行動の理論ができ上るまで、とりあえず、暫定的法則をこしらえた。
「汝の欲するところに、従え。但し、すぐ角向うの巡査の存在を忘るべからず」
(上巻 53章)

彼は、トマス・ホッブスの強靭な常識(コモン・センス)を、よろこんだ。スピノザには、むしろ畏敬を感じた。かくも高貴な、かくも近寄り難く、厳粛な精神に接したのは、全くこれが、はじめてだった。彼が、あの夢中になって感心した、ロダンの『青銅時代(ラージユ・デラン)』を思わせた。次ぎは、あのヒュームだ。この愛すべき哲学者の懐疑論は、彼の中に、身近な共鳴を感じさせた。どんな錯雑した思想でも、それを、実に単純な、しかも音楽的リズムに富んだ言葉に言い現わすことができるらしい、その澄明なスタイルを、彼は歓びに溢れ、唇にはたえず楽しい微笑を浮べながら、まるで小説でも読むように、読んだ。だがしかし、そのどれにも、まさに彼の求めているものを、発見することはできなかった。
(上巻 53章)

大事なことは、まず自分は何者だということを、知ることであり、それさえわかれば、思想関係などは、ひとりで出来上がってくるのだ。フィリップにとっては、発見すべきものが、三つあるように思えた。第一は、彼と、彼が生きている世界との関係、第二は、彼と、彼がその中に生活している人々との関係、第三は、彼の、彼自身に対する関係、この三つだった。
(上巻 53章)

ここまで読んだところで、自分の中の謎がおおむね解けました。モームが書く小説に出てくる魅力的な人物には、根底にデイヴィッド・ヒュームの思想に似たものを抱えている人が多いのです。
わたしはヒュームの思想をはじめて読んだとき、心のはたらきを紐解く際の手法として用いているサーンキヤと、理性をはたらかせるために用いているヨーガの間をつなぐかような論理が展開されていて、驚いたことがあります。

 

フィリップが内心見下している友人ヘイウォードとの対話から自分の思想を言葉にしていく過程も、とても印象に残ります。フィリップはその友人を「彼は、怠惰(アイドルネス)と理想主義(アイデアリズム)とを、一緒くたにしてしまって、それを区別することができない男なのだ」(P35)と心の中で評価していて、こんな会話をする場面があります。

 とうとう、フィリップはいった。
「なるほど、僕は、他人のことは知りませんよ。だが、自分のことだけはいえる。僕にだって、自由意志の迷妄は、非常に強く、いまだに、それから免れることはできないのです。だが、結局迷妄にしかすぎないものだとは、思っています。ただそういいながらも、実はこの迷妄こそが、僕の行動一切の、最も強い動機であるんです。物事をやるまでは、いかにも僕に、選択能力があるように感じ、それが、事実、僕の行動を左右するのです。だが、やってしまった後になって、考えてみると、なに、それは、未来永劫の昔から決っていたのだ、というような考えになる。」
「ところで、そこから出てくる結論は?」と、ヘイウォードが訊いた。
「なに、後悔することの無意味さという、ただそれだけだよ、ミルクをこぼして泣くのは無駄。というのはだね、この宇宙に、ありとある一切の力が、いわば寄ってたかってミルクをこぼそう、こぼそう、としているんだからね。」
(下巻 67章末尾)

フィリップは2周まわってスピリチュアル運命論者みたいになっているけれども、ちゃんと2周回っているところが、そのみっともない葛藤がとにかく読ませる。下巻からフィリップの人格に人間のコクのようなものが出てきます。

 

 

 彼は、いつか彼自身編み出した哲学を思い出して、皮肉な感に打たれた。というのは、彼が直面した肝腎の時に当って、それは、一向に役に立たなかったからである。かりにも人生の危機に際して、いったい思想などというものが、本当に役に立つのだろうか、彼は疑った。(中略)一応こうしよう、ああしようということは、考えていた。だが、イザ肝腎の場になってみると、本能、感情、その他なんだかわからないものの手の中に、彼は、全然手も足も出なかった。ただ環境と性格という、二つの力に動かされる機械のように、動いていたのだった。彼の理性は、いわば横からの傍観者であり、事実の観察はしていたが、干渉する力は、皆無だった。
(下巻 78章)

「かりにも人生の危機に際して、いったい思想などというものが、本当に役に立つのだろうか」というのは、いままさに自分に問いかけたいこと。この本を読んで心のトレーニングをしておいてよかった。

 


モームが基本的に後付けの運命論者なんだな、と思う箇所がもう一か所ありました。友人の死を予感しながらのモノローグです。

要するに、みんなそれぞれの感情にしたがって、行動しているにすぎないのだ。だが、そうなればまた感情には、それがよい場合もあれば、悪い場合もある。してみると、人生勝利に終るのも、敗北に終るのも、要するに運次第だという風にも思える。人生とは、いよいよ錯雑した混沌のように思え出した。人々は、なにかわからない力に駆り立てられて、ただ右往左往しているだけなのだ。その目的にいたっては、誰一人わかっているものはいないのだ。ただあくせくするために、あくせくしているにすぎないらしい。
(下巻 85章)

「ただあくせくするために、あくせくしている」も「ただ瞑想するために、瞑想している」も、人はいちいち意味を持たせたい。そう願う自我という存在から目を背けないモームの文章はほんとうに魅力的。


昨年から少しずつ長編小説を読めるようになりたいと思うようになって、はじめに挑戦したのがこの「人間の絆」でした。この小説は病と格差社会の現実の中で翻弄される人物が主人公です。孤独の苦しみを性格の悪さで乗り切る主人公の存在がありがたくて頼もしくて、つっこんでいるうちに日々が過ぎてゆきます。

人間の絆(上) (新潮文庫)

人間の絆(上) (新潮文庫)

  • 作者:モーム
  • 発売日: 2007/04/24
  • メディア: 文庫