「老害」という言葉がこわいです。近ごろは30代の人が自分自身の考えを述べるときに使っています。30代で「老害といわれそうだけど…」とエクスキューズを入れて意見を述べる。すごい時代ね…。
わたしがこの言葉をこわいとはじめて痛烈に感じたのは、2011年の地震と津波のときに石原慎太郎さんが「天罰」発言をしたことへの反応として老害という表現を目にしたときでした。発言の内容と人格批判をないまぜにするワードとして使える便利さにこわさを感じました。
すごく便利だから思わず使いたくなる気持ちがわかる瞬間はわたしにもあるし、子どもの頃にこの言葉が流行っていたら使いまくっていたのではないかと思うけれど、いまはその罠には落ちない。本を読むようになったから。
毎年手帳を買い換えるたびに本で読んだフレーズのメモのなかからこれは来年も見返したいと思うものを書き写すのですが、以下はわたしが昨年読んだサマセット・モームの小説「お菓子とビール」にあった、とても気に入っている部分。ブログの感想では引用しておらず、ここは手帳にメモしていました。
イギリスでは昔から若者に老人は賢いと繰り返し教えてきて、若者がその教えの誤りに気付く頃には老人になっているので、嘘を継続したほうが有利になるのだ。
(「お菓子とビール」 モーム 著 / 行方昭夫(翻訳) 11より)
モーム、最高だ。
ところが、インド人はもっとすごいのです。これはマヌ法典の中の、わたしの大好きな節。
年寄りがやって来ると若者の生気は上に抜けてしまう。起立と挨拶によってそれらを取り戻す。
(「マヌ法典」渡瀬信之 翻訳 第二章 修行 2.120節)
マヌ法典はバガヴァッド・ギーターと同時代と考えられていて、日本では弥生時代。弥生時代からこのレベルなんですよインド人…。こわいわー。
以前は実用書や新書などすぐに役立ちそうな本以外の読書に興味のなかったわたしだけど、ここ数年でいろいろな本を読めるようになり、さまざまなテキストからブレーキのアイデアを得ています。アクセルを踏むための読書から、踏んでいるとは気づかないくらいそっとブレーキを踏むための読書に変わってきています。
今日引用したのはこちらの本からでーす