うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

オロオロする男子へのソリューション提案がどうにもおかしい


パタンジャリの中の人がヨーガ・スートラで「霊的な書物を研究せいよー(2章1節)」とおっしゃるので、いちおうわたしも読んでみたりするんですが、どうにも神妙な気持ちになれないときがある。
そういうネタをあげだすときりがなく、以前は「これはどうしたもんかな」と、自分の性格に難があるのかと思っていたのですが、井筒先生がコーランのことを「おもろい書物」とあっさり解説に書いていたのを読んで、インド思想の本を読むときも気持ちが軽くなりました。
深遠なものとツッコみどころのある内容が同居している書物を読むのは、概念にとらわれない感覚を養うのにすごくよいトレーニングになります。今日は「リグ・ヴェーダ」イスラーム聖典コーラン」からの紹介です。



 題材は「女性の血」です。



リグ・ヴェーダ」は「宇宙開闢の歌」が収められている、ヴェーダの王様のような書物なのですが、当時の男子の慌てふためきぶりがかわいらしい節があります。紀元前1200年ごろの書物といわれ、大昔も昔すぎるのですが、この時代に書物が編まれていることがまずすごい。
そして紀元後のちょうどヨーガ・スートラと同じくらいの時代にカーマ・スートラが編まれ(7世紀説もあるが)ます。その頃になると「中部地方の女性は、爪を押されたり噛まれたりするのを好まず、またアパラーンタカ(インド西部のコンカン地方)の女性はきわめて情熱的で、やがてシーッという音を立てる」というくらいまで具体化した記述に発展していきます。(参考書「インド人」)


インド思想ではありませんが、紀元後600年代のイスラームコーランになると「男女のあれこれの契約的なこと」までが細かく規定されていて、部族繁栄のマネジメント書としておそろしくよくできているのですが、「女性の血」について、これまたかわいらしい記述が見られます。


まずは、新婚初夜の血に慌てふためくオッサンたちの模様をリグ・ヴェーダ(辻直四郎・訳)から
<婚姻の歌 より(数字は節句)>

28:そは青黒く赤し、呪法としての汚染(初夜の出血)は印せられたり(初夜の肌着の汚染)。彼女の縁者は繁栄す。夫は呪縛にかけられたり。

大さわぎだなおい……。


29:(汚れし)衣を棄てよ。バラモンに財を分ち与えよ。この呪法は足を得て、妻として夫に入る。

なぜそこで財を与える展開になるんだよー。バラモンヤクザめー。洗濯しようよ。


34:そ(新婚の肌着)は有害なり、そは鋭し、逆鉤(さかばり)をもち、毒物のごとく食ろうに適せず。スーリアーの歌を知る祈?者(呪力あるバラモン)、彼のみ新婦の衣を受くるにふさわし。

と思ったら、洗濯以前に、バラモンに特別な仕事(衣を受け取る)が発生している! おそるべしインド。



これ、すごくインドっぽいというか、女性は生理にしてもそのほかのお手入れにしても、ちゃんと男性から隠れてなんでも処理していたんだなぁと。ガネーシャが人間から象頭になるエピソードでも、パールヴァティがシヴァに「どんなにわたしのことが好きだからといって、お手入れの姿は見ないで頂戴!」と怒ったところからはじまっている。
なんというか、いまや女性が忘れてしまった恥じらいを戒める要素もあるね。にしても、バラモンはヤクザだよなぁ(笑)。「血が出た女の縁者は繁栄す、夫は呪縛にかけられたり」って、もしかしたらオッサンたちが居酒屋で話すような "結婚は人生墓場" という感覚を自然現象のせいにしてはいまいか?! いまいかっ!



と、いつもツッコミどころが多角的に尽きないインドに対し、アラブはアラブでおもしろい。

コーラン 井筒俊彦・訳 上巻「牝牛」より>

222:みんながお前(マホメット)に月経のことで質問して来るであろう。こう答えてやるがよい。あれは(一種の)病であるゆえに、清浄の身に戻るまでは決してそのような女性に近づいてはならぬ。浄(きよ)めがすっかり澄んでから、アッラーのお言いつけ通りに彼女らに接するのだ。アッラーは悔い改める者を愛(いつくし)み、また身を浄める者を愛み給う。

ここだけだとニュアンスが読みにくいですよね。とにかくまあ、呪いではなく病にはなってます。このあとコーランは「女との関わり方」の啓示が続くので、ここは「血の出る女と結婚しても大丈夫?!」という相談と読み取れます。
次も読むとわかりやすいかも。


223:女というものは汝らの耕作地。だから、どうでも好きなように自分の畑に手をつけるがよい。ただ(その場合も)己れ自らの先々(来世)のためになるように行動するのだぞ。そしてアッラーを畏れかしこみ、やがてはアッラーに逢いまつる身であることを肝に銘じて心得ておけよ。お前は(マホメットに呼びかけて)信者たちに嬉しい音信(たより)を伝えてやるがよい。

アッラーたんは男性でも女性でもない神といいつつ、「嬉しい音信(たより)」って、オッサンだろこれ!  だとしても、節度を持って接しなさいよというスタンスは鉄板なので、わたしは好きですけどね。



今日はガールズ・トークすぎるノリになっちゃうかなぁと懸念していたのですが、書き始めたら結局オッサンと共感する内容になってしまいました。
なんでだ。