うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

家(下)  島崎藤村 著

島崎藤村の『』は、毎ページなんらかの引っ掛かりを感じる、濃すぎる家庭内メロドラマ。
明治の終わり頃の東京の様子がわかるのも興味深く、大久保が郊外と書かれ、引っ越し先の厩橋のほうが都会の扱いです。当時は大久保で黒い袴を穿いた女の人が宗教の勧誘のようなことをしていたようで、第一章に出てくる説教エピソードはいかにも新宿区らしく感じるし、昔は両国で隅田川の川開きなんてのがあったの? と思って読んでいると、それがいまの花火大会だったりする。

明治の終わりから大正時代の東京の雰囲気が、親族の仕事の浮き沈みと並行してちらっと描かれるのがとてもおもしろく、家庭の状況まで淡々と細かく綴られています。

 

そして二章あたりから親族の中で「お俊」が男性を惹きつける雰囲気を持っていることがわかってくるのだけど、親族の中でモテるってなによという話で、この家はどうも異様です。島崎藤村は「不思議な力」と書いているけれど、それは当時その言葉がなかっただけで、いまでいえばロリコンじゃないかと。

その気持ちを抑えられない自分を「臆病」と書くあたりがなんとも不気味で、『新生』に似た心理ホラーでもあるのだけど、対象として見られている女性(お俊)が警戒して居心地が悪くなっている様子も同時に書くあたりは、島崎藤村てすごい作家だなと思います。

叔父、甥、姪などの交換(とりかわ)した笑声は、客の耳にも睦まじそうに聞えた。お延は自分が笑われたと思ったかして、袖で顔を隠した。お俊は着物の襟を堅く掻合(かきあわ)せていた。
(第三章)

こういう描写をサッと差し込んでくる。とても映画的。女性が男性に対して感じている恐怖と男性の強引さを同じ分量で書かれていることが、疑惑を誘う。
お俊の父親は親族に経済面で迷惑をかけ家を去ることになるのだけど、その描き方もあっさり具合が残酷で、兄弟が上品な会話で陰湿な戦争をしている感じがよく伝わってきます。


島崎藤村は家のなかで対象を追い込みながら鋭く観察する描写をするので、当時の家族間の「役割」を理解するのに、とても参考になります。
下巻では主人公の三吉と正太(甥・三吉の姉の息子)の関係が中心に描かれ、三吉の姉であるお種の挙動も多く記録されています。家系図でいうと物語の中心にいる北極星のような存在。この人物については『ある女の生涯』でも読むことができます。

感情移入しながら読むと女性にはなかなかキツい話ですが、お種の時代と息子・正太の妻である豊世の考え方の対比は興味深く、最後まで読むと物語の存在が強く記憶に残ります。婚姻というシステムが盤石ではなくなっていくプロセスの始まりを実況されているように物語が進んでいく。

上巻の感想にも書きましたが、この物語は小津安二郎監督の映画『早春』浦辺粂子さんが演じていた母親が嫁いだ時代のイメージとみごとに合致します。

家族を書いた小説なので当然といえば当然なのですが、女性の意思を認めた時点で成り立たなくなる婚姻システムがよくわかる。現実を伝える貴重な物語です。

いつかものすごく注目されたりするんじゃないか、今こそ映像化してほしいと思うような話でした。

 

▼下巻の登場人物マップも作りました

f:id:uchikoyoga:20210327174641p:plain

家 (下)

家 (下)

 

 

 

▼上巻についてはこちらに書きました