インド旅行で知り合った友人が、手紙を添えて送ってくれました。特にアジアの旅の様子がいいのだと書いてありました。
たしかによかった。インドとフィリピンの旅の話が印象に残りました。
日本にいるとたまに陥る、あの不明瞭な感情からわたしを救い出してくれるのは、旅の瞬間にふと湧き上がってくるこういう気持ちです。
わかりやすくハッピーじゃなくても楽しい。
蒸し暑い地域にいるとこういう自分の価値観を引き出してくれる瞬間が確実にあって、その感じが高山なおみさんの料理エッセイではこんな言葉で書かれていました。
(インド滞在中に、売り込み上手なおばあちゃんから買ったココナッツ・ジュースを連日飲んだ後で)
やっぱり、何度飲んでも思うけどコレっておいしくないのかもしれない。
この「やっぱり」という感覚!!!
SNSで旅の様子を刺激的な経験に見せている人が「やっぱり」をごまかし続けている文章を見ると、この人は日本でキョロキョロしながら生きてきたんだろうな、自分もそうだ。と想像する。ついテンプレをチラ見してしまう自分と同族嫌悪の感情が起こる。
まずいものもつまらないものも、この世にはたくさんある。それをマイナスにカウントしたくなくて虚飾することに疲れていた自分を知ることができるのが、旅の醍醐味。
* * *
高山さんの文章は、この人けっこう性格キツイんだろうなと思う要素がチラッと見えつつ、それを凌ぐ圧倒的な誠実さが光るところが魅力です。
これは料理のミラクルではなくシチュエーションの力だというところを認めて自分の手柄にしようとしない。この誠実さが人気の理由なんじゃないかな。
片思いの恋をしている人の夜の時間帯について書かれたこの一行にやられました。
でも、いつかはひとりの部屋に帰らないとならない。
このエッセイは、やる気をくれる。
このあとに料理の話になる。
そして
部屋に湯気があるというのは良いものである。
とくる。
わたしはこういうことがわかってきたのがとても遅くて、コロナをきっかけに在宅仕事をするようになってから、湯気を自分のために作れるようになりました。
* * *
高山なおみさんの言葉は、わたしが最初に買った「のんびり作る おいしい料理」もそうだったけれど、料理に苦手意識を持っていた人に対しても精神的な間口が広い。
「頭の中がぐちゃぐちゃな人は、机の上もやっぱりぐちゃぐちゃなのよ」
小学生の時、先生に言われたことがある。
調理台の上もまな板の上も頭の中もいつも混乱している。だから動きも大雑把でムラがある。気をつけようと思っていてもいまだに直らない、実はこれが私のしぐさである。
(料理するしぐさ より)
まだナンプラーが巷で手に入りにくい頃から旅の記憶を元に味を再現し、NHK『きょうの料理』でも人気を博すことになった高山さんの心の奥はずっとこんな感じで、清濁を散らかしながら併せ持っていて、こういう感じをわたしも忘れたくないな、と思っています。
この本は旅と料理のエッセイで、誰と食べるかでも何を食べるかでもない「何か」について書こうとしている。それを思い出すためのイントロとして味のエピソードが登場しています。
出版時にはすでに人気料理店の料理長で、お店で作るものを家庭で作る際においしくできるコツがやさしく書かれています。こういうときの文章の一文一文もいい。
1995年に初版が出た本の内容が、現在のわたしにぴったりきています。