わたしは「界隈」という言葉がどうも苦手です。
自分はどのくらいこの話に出てくるネタを知っているとか、ある時代のその土地を懐かしんで事情通であることをほのめかすとか。そういう内輪盛り上がりをやりたい人への撒き餌で惹きつけるマーケティングをするものに近づかないようにしています。
なのでこの小説は読まないつもりでした。そういう感じの本なのだろうと思っていたから。でも気になっちゃった。読んじゃった。
この小説がかゆい部分をふわっと撫でてくることはもうわかっていたのだけど、やっぱりぎゃーっ。ヤメテー!となりました。
わたしの部屋のインテリアのエースには、むげん堂で買ったものが今でもあるのです。ギャー。
それと同時にいろいろあって、2008年ごろにはわたしもこの主人公の元彼女と同じように、皇居の周りを走る人に仕上がっていました。
この物語に出てくる男女の両方が自分のなかにある。
元カレからFacebookでお友達申請が届いた彼女は、うわちゃあああ、とコンマ何秒かは思ったんじゃないか。そしてしばらく後に、過去の自分の一部に納得し直す、そんな思考をしただろう。いや、しないな。20年ぶりなんてホラーでしかない。
著者にとってのゴールデン街は、30代のわたしにとってはヨガ教室だったな・・・。
自分が住処にしている場所以外に、別の顔をして別の自分を演じられる居場所を持つことが人生には必要なんだということを、ボクは真夜中のゴールデン街で通りすがりの賢人たちから学ばせてもらった。
(雨のよく降るこの星では より)
生き延びかたは、それぞれなのよ。うんうん。
「ワンルームのプラネタリウム」で、混乱したせいで感情の引き出しが全部同時に吹き出すときの描写には、読みながらうわあああっ、となった。自分が混乱させる側になったことも当然あって、この小説が多くの人に読まれた理由は、こういういろんな「うわあああっ」のせいだろう。
えぐい記憶の蓋を10個くらいこじ開けられて、あたくしもうギブアップです。もうやめて。
二作目の小説も読むのが楽しみ。