うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

失敗と後悔としくじりと、いつのまにか育っている完璧主義と…。そんなときの対処法

4月がはじまりました。先週わたしは驚くほど単純なミスをして、そのときにいろいろ考えました。止まらないくしゃみのせいにしている場合ではないかもしれない、と。
その失敗はお金と時間ともうひとふんばりの手間で解決できるものではあるのだけど、こなれてしまったがゆえの失敗。振り返ってみると確かに集中力を欠いていました。一か所ミスを直前で見つけて直した時に「おっとー。あぶなかった!」と安心して、もうひとつのミスを逃してしいました。しかも、直前で見つけたのよりも単純なやつを! くうぅぅぅぅ。


再作成時に今度は別の箇所でやらかすのではないかという恐怖心も芽生え、自分の集中力への信頼を失いそう。そんなあやういメンタルの状態を半日くらい味わいました。失敗した場合のスケジュールもバッファをとっていたのだけど、どうにもガックリきちゃって妙なあせりがとまらない。「そのために早めにやっといてよかったじゃーん」と、失敗した自分を愛しきマイ・バディとしてなぐさめる別の自分もいるけれど、それでもガックリはガックリ。ガックリだっ!
このガックリの正体は

 

 完璧主義の産物

 

です。
さてさてさて。こんなときはどうするか。
すべて真夜中の恋人たち」の、この部分を読みます。

「あれだけみたのよ、ほんとなのよ! って、もうあれ、ほんとにがっくりくるじゃない」聖はちからをこめて言った。
「ほんとに、くる」わたしもちからをこめて言った。

前後も含めてここを読むと、完璧な仕事などないのだと自分に言い聞かせることができて少し孤独感が薄まります。この小説は校閲をする人たちの物語で、引用した部分はその人たちがあとで誤植を見つけてがっくりくるという話をする場面。

間違い探しをする仕事の人が探しきれていなかった間違いを完成物の中に見つけたときの「がっくり」には、完璧にこなすぞという責任感が乗っていて、それは社会の中で存在できていると感じられることと表裏一体。自分自身に期待をしたから落ち込む。
それを同業者同士で共感する、それぞれがこれまで作業中に感じてきた孤独な時間が塊になって触れあって、ぷよぷよみたいに消滅するこの場面がわたしはすごく好きです。

 

自分に期待するって、大切なことでもある。だから、ガックリとかガックシとかガビーンとかガチョーンとかオヨヨとかショボーンとかorzとか、そういうボキャブラリも豊かにしておかなくちゃ。ひとりで作業をしていると、こういう小さな失敗がこたえるときはすごくこたえるから。
新年度早々、新学期早々、、、わたしみたいにやらかしちゃってる人、元気だしてこ!