先日ある友人が、わたしが以前書いた「太ももの裏の話」を思い出すようなことがあったと話してくれた。太ももをほぐした日に、おかしな夢を見たらしい。
そしてわたしもこの夏、久しぶりにアーユルヴェーダのオイルマッサージを受けた翌日に「でたー」という感じの夢を見たことが一度ありました。
無理なスケジュールの入れかたをして、
結局うまく遂行できなかった。かっこわるい自分。
テトリスのようにギリギリで差し込むようなことをして、
信頼されたい人にあきれられた。
という夢。
こういう夢に出てくるような失敗はもう30代半ばくらいでじゅうぶん懲りていて、いまは以前よりもかなりゆったりしたスケジュールで活動するようにしています。予定も交友関係も半分以下に減らして、つきあいの悪いヤツになっても、ああいう失敗をもうしたくない。それなのに、何年も忘れていた "あの感じ" が夢に出てきた。
いまとなっては凍らせる必要すらない行動記憶なのに、出てくる。かつての失敗は、いまも自分がどうしたいかを考えるきっかけをくれます。
いまは半年サイクルくらいで自分の決めたことの優先順位が少しずつ変わる、そういう生活をしています。
なにか社会の中で自分の居場所や価値を作らなければいけないと思い込んでいた30代までは、支配欲の強い人の犠牲になることで自分の居場所を作っているだけの状態を客観視することなど、一度もなかったな…。そしてその支配関係だって、一時的なもの。でも、それがすべてのように感じてしまう。そんな毎日でした。
いまはプラクティカルなことで培われるカンが頼り。頭を使う部分も体を使う部分も、自分を助けてくれる大切な道具のよう。周囲の状況は目まぐるしく変わるけれど、ヨガに限らずあらゆる面で「練習は裏切らない」と感じられることが、はげみになる。自分の腕や腹に触れて「だいじょうぶ。ここに、ともだちがいる」なーんて思っている様子はかなりヤバいかもしれないけれど、大丈夫。見た目はぷよぷよ。わからない。そこが、ヨガのいいところ!(ヨガではそんなにムキムキにならないから)
それでもたまに痛い自分が出てくる夢を見るとギョッとする。たまに太ももからほじくりかえして確認しておくと、自分で自分をごまかさずにすむ。
自分自身の嫌な面も、目を覆う手の指の隙間から、ちょっとは確認しておきたい。そんなわたしのようなあなたは、たまに太ももをほぐしてみてください。他人の手を借りるのも、いいもんですよ。