うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

おしゃべりや不機嫌のこと

以前ヨガ講師をしている人から「年齢や性別を制限をするのって、どう思う?」という相談を受けたことがありました。理由を聞いたら、リトリートで参加者がほかの参加者に指摘のような説教のようなことをする場面があったとのこと。
まぁ人がふたり集まったら組織だからそういうことも発生しうるのだろうし、非日常の場で気が大きくなるとかそういうこともあるのだろうけど、その相談へのわたしの答えとしては「属性で制限をするという判断を下したことで考えられるネガティブな面も、自分で具体的にリストアップして考えたほうがよいのでは…」というくらいでした。特殊性を基準に一般化して判断を下すというのは、どんな場面でも「かしこい選択だろうか…」と疑問が残るもの。
わたしは制限について考えたことがなくて、完全に個体差だと思っています。思考に関する男性的・女性的という傾向も、おどろくほどひっくり返るケースは多いし、文化は地域でもかなり違ったりする。
相談を受けたケースでは男性から女性へ、年長者から若年者への説教とのこと。でもそれは逆があったらむしろ Wow! Yeah! なのであって、「ヨガをする環境は夢の国だから、それがありえない前提にしたい」というのがそもそも無理な考えかたのようにも思います。



 ヨガでみんながハッピーに



キャッチコピーとしてはさておき、運営側がこの「みんな」と「ハッピー」を掘り下げないままやっていると、いろいろ葛藤することになります。ヨガの場だけが例外ってわけじゃない。そこを掘り下げて考える行為は有意義だし、それを考えることに罪悪感を持つことのほうが無責任というかマゾ的というか…。なので、とことん考えたらよいと思います。


練習の場について考えることがあるとき、わたしはいつもインド人の先生にもらったテキストを自分で訳したものを見直しています。
それは指導者の心得のようなテキストなのだけど、練習を妨げる人に対しての考えかたも書いてあります。

 1回か2回、自分なりの伝えかたで伝える。

 それでも理解されないことはある。

 なかでもとりわけ「おしゃべり」「不機嫌」は、取り合わなくていい種類のもの。

 そこに割くエネルギーは、本来練習をしたい人に向けられるべきもの。

原文は英語で、上記はわたしなりの日本語訳です。
わたしがインドで見てきた先生は「おしゃべり」や「不機嫌」の見える場面でも「ああ、Pay attention to me か。ほっとけ。いまは練習の時間だ」と華麗にスルーしていて、いまはこのような先生の態度の理由がわかります。


とはいえ、それは過去の話。
ここは日本。わたしは日本人。いまわたしは日本語で日本人と練習をしています。
日本人同士のコミュニケーションはあらゆる場で「甘え」や「親切」を婉曲して他者をコントロールしようとすることが定番化しているし、支配欲に加えて所属意識も満たしたいという願望を持つ人もいる。そこには年齢も性別も関係ありません。
そして冒頭のような相談があるたびに「平等」について考え、そのたびにわたしは「基準を固定しようとするからしんどいのでは?」という結論に至ります。個人がその都度結論を出し、検証し、法則を見出し、実行し、ときに撤回し、かつ本人も変化していくしかない。同じ人間でも、中身が転変するから。


さて。とはいえ。
冒頭の件はサービスオーナーの悩みとしてけっこうある話。ルールを明言すると熱量が下がる状況への対応って、むずかしいんですよね…。わたしは普段からこういう場面に向けての自主練習として「ディズニー」や「宝塚」の案内ページの文章を読むようにしています。
必要な時期を過ぎると削除されるので今はもう読むことができませんが、「ディズニー・ハロウィーン 仮装のルール」というページは名作で、何度も読みました。その文章は、以下のようなことまでわたしの脳内に想起させる、すごいものでした。


 もしもハロウィーンの時期に
 ももクロが仏桑花の衣装でディズニーランドへ来てもセーフにしてあげたいな…。
 仏教だけど、姫っぽいし。ブランド・イメージ的にはぜんぜん問題ナッシング♪

 でも…
 もしエガちゃんが全身黒タイツに赤いパンツを穿いてネズミの耳をつけて来たとして
 「ミッキーでぇーす」と言ったとして…
 たしかにそれは通常のエガちゃんよりもミッキーに近づくのだろうけれど
 「タイツ姿のスリムなおじさん」を見たら、
 国民の多くは通常のエガちゃんの勢いを想起するのであって
 急にネズミぶって来られても、

  ミッキー、勝てるかな…
  うちのブランドイメージ、エガちゃんに勝てるかな…

 うう〜む!


みたいなことをモニョモニョ言いたげな感じが伝わるものでした。全身黒タイツにミッキーのパンツは… とイラスト付きで書かれていました。差別や偏見に見えない配慮が随所に見られ、いろんな意味で泣ける構成。こういう感じで泣けた「参加時のおねがいページ」は人生初ではないだろうか。
「とにかくわたしも夢の国を回していかなければならんのだよわかっておくれよどうかひとつ。 by オリエンタルランド広報」
みたいな、そんな思いの伝わるメッセージでした。わたしは一方的にそう読み取りました。


とまあこのように、シャンティな体裁の世界で起こるコミュニケーションには、夢の国における仮装クオリティ制御に似たものがあります。
若干まとめかたが強引なのはわかっていますが、シャンティな環境づくりには工夫が必要です。日常を離れた空間で資格をとって、儒教風情の社会に戻って「はい。シャンティのシェア〜♪」ってわけに…
いくかーい ヾ(~O~;)
と、まあそのくらいに思いつつ、わたしは何よりも「練習というのは楽しいものだ」という、自分自身が毎回感じるあの思いを再現することを大切にしています。
わたしが練習以外のことに活動の場を広げないのは、こんな理由もあってのことです。ディズニーや宝塚で働いて修行を積んだら、できるようになるかもしれません。