うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

みみずくは黄昏に飛びたつ ― 川上未映子訊く/村上春樹語る


おもしろくていっきに読んでしまったので、今後ぼちぼちまた読むのだけど、この本の最強のおもしろポイントを挙げます。
それは


 石川聖が小さくガッツポーズをしているかのような瞬間があること


石川聖というのは「すべて真夜中の恋人たち」の登場人物。このインタビューのなかの川上未映子さんに何度かそれを感じる箇所があります。
まあそれは読んでのお楽しみとして。


わたしはどうにも長編小説が読めなくて、長めのものを読めるようになったのはここ数年なのですが、村上春樹さんの小説をまだ読んだことがありません。
ほかにももうひとつ、些細な理由があって…。読みたいのに読めなかった。
20代の頃、「村上春樹作品を読んだことを年上の人に知られると、脳内で森高千里の曲が流れることになるから読みにくいんだよな…」という時期が長くありました。
それはまさに川上未映子さんが村上春樹さんにこのように話されている部分。

とにかく最初から若い読者が興奮した、という話をよく聞きます。「来たな、俺たちの時代が来たな」と激烈に感じたという人が、今の五十代半ばぐらいに多いです。

これなんですよね…。
村上春樹作品を読んだと言おうものなら、「臭いものにはフタをしろ!!」の歌詞のような世界が展開する。ほんとうに見事にそうなっている光景を見たことがあって、完全にびびってしまった。当時はおじさんのカルチャー武勇伝をうまく聞き流せなくて……。
いまはこのインタビューを読んで、わたしがおばさんになって、「いよいよ読めるぞ、どれから読もうかな…」という気持ちがメキメキわいてきています。わたしにとっては、この一冊が読書ガイドのよう。


そんなこんなで村上春樹さんの小説は読んでいないのですが、マラソンのエッセイはすごく印象に残っています。
そのときの印象とも重なるのですが、このインタビューでは村上春樹さんがサンスクリット語でいう「sva」をすごく大切にしていることがよくわかります。こんなコメントがあります。

大事なのは自発性。自発性だけは技術では補えないものだから。
(文章のリズム、書き直すということ より)

ヨーガ関連の書物によく出てくるサンスクリット語にスヴァダルマとかスヴァカルマとかスヴァルーパとか、スヴァがつく言葉がたくさんあるのだけど、その感じと似た話がここでされている。
日本語でいきなり自発性の話をすると主体性と混同されがちなことも、こういう流れで話されるとすごくストンと落ちてきます。


身体の定点観測の話をされているところもよくて…

ラソンのタイムが悪くなっていくっていうのは、自分が年齢を重ねていることを確認するという意味で、まあ良いことだと思うんです。そうしないと、自分の立ち位置ってよくわかんないじゃない。僕には子供もいないし、同僚もいないし、そういう定点観測の機会がないと、ちょっとわかりづらいことがある。
(ゆくゆくはジャズクラブを… より)

この本の中で何度か、技術で補えるところとそうでないところを見間違えないように注意深くあろうとするスタンスや、相対的に変わるものとある程度固定化できるものを切り分けて考える視点、そういう経験からのあれこれが語られています。


村上さんと川上さんの年齢や性別の差によって見えてくるものも、すごくリアル。考えずにはいられないことや考えてもしょうがないと思えること・思えないことの違いが見える流れは、思わず前のめりで読んでしまう。よくこういうところまで余すところなく質問したなぁというか、川上さんが「とはいってもですよ…」という感じでしつこく訊ねる流れがいい。「おじさん、こんなに喋らされちゃって!」というおもしろさ。
村上春樹小説を読んだことのないわたしがこんなに楽しく読んでしまったので、読んだことのある人にはすごくおもしろい本だろうと思います。


▼紙の本

みみずくは黄昏に飛びたつ
川上 未映子 村上 春樹
新潮社


Kindle