想像以上のおもしろさでした、主人公は女性。あとは男性一人と、ほかに女性が二人登場する。
物語は展開しないのかと思いきや、最後どんどんすごくなる。あれよあれよとすごくなる。終盤に暴かれていくことに、納得もするけど知りたくなかった、みたいな苦しさがある。
つらいことがあると、それをかき消すために人はいろいろな妄想を組み立てるのだけど、印象の記憶はなかなか消えてくれない。かつてインド人がサンスカーラといったものはこういうことではないのか、ということを、歯医者ではたらく主人公はこう語る。
あの、ねっとりとして、歯に抱きつくようにしてうっりといくつもの口の中の、歯の「無い」を浮かびあがらせて固めてゆくあのピンクの練りものの名前は、印象、というのです。
主人公は恋をしていて、未来の子ども(想定)に手紙を書いている。かつてインド人がアハンカーラといったものはこういうことではないか、ということを、主人公は手紙にしたためる。
ねえ、おまえの主語はなんですか? おかあさんの主語は、こうして手紙を書いているたった今は、お母さん、でいられるのです。お母さん。お母さん。とても素敵。このたった今ならお母さんはお母さん以外ではないのだもの。
今こうして、おまえに話しかけるというか、手紙を書こうとするとき、主語の秘密を思い出すのですよ。思いだす、そう、考えるのではなくて、思い出しているのです。
このお母さんは、つらいのです。この世はつらいのです。
こっちには根本を考えるあまり、おまえのような状態になりたいという気持ちを持った人が少なからずいますよ。それはね、死にたいとかそういうことではなくて、生まれてこなかったことにしたいなあ、出来たら、というように考える人もたくさんいますよ。
主人公はいじめられていて、つらいのです。ネタバレしないように登場人物の名前は入れずに引用します。
(そのいじめる人が)掻き混ぜることができるのはせいぜいその目に映るわたしであって、そんなわたしだけであって、私を踏みつけることは出来ないのでありました。
自分の状況は不遇ではないのだ! としてなんとかメンタルを保つための思考の描写が鮮明すぎる。(「わたし」と「私」は書き分けられています)
そのいじめる人は、まるで仏陀のようなことを言う。
あんたが受ける痛みはあんたの中から発生するの・反応で生まれるもんやありません・あんたの中にもともとあるの・それがムードででっかくなったり炸裂したりそんな具合になってるの
この話に救いはない。そんなもの、あるの? 救いって、なんですか。ってくらい、ない。
でもすべてが正論のように見えてくるところが、この小説のすごさ。
正論探しをしない人になりたい、という方向で、勇気とは違う考える力が湧いてくるような、そういう小説でした。
「ヘヴン」を読んでうわぁ、と思った人は、この設定もまたすごいわという感じで読めるのではないかしら。