うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

ニューカルマ 新庄耕 著


このストーリーを書いたご本人がラジオでお話されている様子が、あまりにも「同僚にいそう」という感じですごくリアルで、気になって読みました。ネットワークビジネスの話。
まるでドラマや映画を見ているような感じで、やめられない止まらない。2日でイッキ読みしてしまいました。起こっていることはなにも新しいことではないのに、いつも近くで仕事をしていそうな人の経験としてセリフや行動が構成されていると、こんなにも心情の細かい変化がグイグイくるものかと、思いのほか引き込まれました。閉塞感のある職場の状況や同級生とのやりとり、まだそんなこと考えるの? と思うけれどもなくならないバブルっぽい成功に対して目の色が変わる人たち。どれもこれも、身近な人の顔が浮かぶ。浮かんじゃうのです。
文章にまったくクセがなくてある種「どこかで聞いたような言葉」ばかりで構成されているから、よけいに「ありそう」な感じが立体的に迫ってくる。
同級生に「そんなこと、まだやっているのか」と言われた主人公のセリフに、こんなフレーズが出てきます。

正確にはマルチレベルマーケティングって言って、ネットワークビジネスとも言うんだけど、ハーバードとか、アメリカのMBAなんかでもマーケティング手法としてカリキュラムに組み込まれてるぐらいでさ。芸能人もみんな会員になってる。全然違法性なんかないし、ちゃんとしたビジネスだから

違法性が問題なんじゃないって話が、もう通じていないこの感じがリアル。




何年も通い続けた飲み屋でほかの客についセールストークををはじめてしまい、店主にとがめられるこの場面がわたしの中では盛り上がりのピーク。

「とても言いにくいんだけど……そういうこと、うちでやってもらったら困るんです。皆さんそれぞれの時間を楽しんでいらっしゃいますから」
 思いも寄らぬ咎めに、体がかたまった。
 何年もわたって店に通いつづけていることで、知らず知らずのうちに店主の好意を当てにしているようなところが全くないとは言わない。それでも、アヤさんに限っては数少ない理解者だと思っていただけに、頑なに拒絶する態度が受け入れがたかった。
「別に、ちょっとぐらいいいじゃないですか。こっちはお二人のためを思ってやってるんですから。ねっ、そうですよね」


こういう場面のさなかに入る分解が鋭くて、よい。

 頭では逆効果だとわかっていた。にもかかわらず衝動は抑えようもなく、一度勧誘をはじめるとすぐに周囲が見えなくなり、行き着くところまで突き進んでしまう。自分が正しいことを示したかった。誰もが納得せざるを得ない結果をつかみとり、自分に否をつきつけてきた全ての者を見返したかった。


そして主人公は、調子のいいときはこんな思考になる。

 何か自分が特別なことをしたつもりはない。大変な思いをしたわけでもなかった。ただ目の前にいる人の話に耳をかたむけ、正直に向き合いつづけたに過ぎない。にもかかわらず、ふと顔をあげると、周りの景色が一変していたのだ……。

ただの「マルチ商法あるある」ではない、思考の隙間に入り込む「自分が正しいことを示したい」という気持ちの危険性が、つぶさに描かれています。
わたしは知人から「友人がこういうビジネスにハマっていて」みたいな話を聞いたことがあるし、ヨガ教室へ行けば更衣室でそんなことをしている人を見かけることもあるし、インストラクターなどをしていると「友人が高額な瞑想セミナーにハマっていて」なんて話を耳にすることもある。そのたびに、「とめようとしてもとまらないよ。」と話す。(過去にここにも書きました


この小説には、「わかっているけど」と言いながらやめられなくなる心のはたらきがすごくリアルに書かれています。
「わかっている」ということの証明は、それを咎める人に対しては「やめる」ことでしか示せない。だから外から見ると「わかっていない」ということなのだけど、そんな論理は通じない。けっこうヨガの世界もこういうメンタルでやっている人は多いし、先に引用した調子のいいときの主人公の気持ちなんて、どこかのヨガ講師の自己紹介文じゃないかと思うほどヨガっぽい。
「わたしの人生、うまくいってなくないもん!」という気持ちの芽を、小さいときに保育者がそのつど摘んでくれなくてどんどん伸びやすい心の土壌になっていたのだとしても、それでもやっぱり自分でちびちび摘むしかない。それを大人になってから他人に積んでもらおうとすると、こうなる。
そんなゆるぎない現実が小説になっているような本でした。


▼紙の本

ニューカルマ
ニューカルマ
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新庄 耕
集英社 (2016-01-04)



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