うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

まじめについて、まじめに話した(夏目漱石「虞美人草」読書会での演習より)

夏目漱石の「虞美人草」はは玉虫色の言葉「真面目」について、とことん考えさせる作品です。
虞美人草」の読書会では、「真面目」について掘り下げる演習をやりました。



 これを他の言葉に置き換えようとすると、どんな言葉が浮かぶか



同じ場面の同じ文章を読んでいても、読み手によって微妙に染められかたが変わる。「真面目」という言葉はその多眼演習にもってこいの材料です。この小説には、「真面目」という言葉が60回出てきます。数えてみました。

場面 備考
小野描写 2  (特になし) 
宗近描写 2  (特になし) 
甲野描写 3  (特になし) 
甲野の母描写 1  (特になし) 
小夜子描写 1  (特になし) 
藤尾描写 1  (特になし) 
浅井描写 1  (特になし) 
宗近の父描写 1  (特になし) 
糸子描写 3  (特になし) 
甲野&宗近 会話の描写 2 5章「今までは真面目の上に冗談の雲がかかっていた。冗談の雲はこの時ようやく晴れて、下から真面目が浮き上がって来る。」
小野&浅井 会話の描写 1 17章「小野さんは、肩の並んだ時、歩き出す。歩き出しながら真面目な問題に入る。」
甲野セリフ 1 宗近パパへ「あれでも昔しは真面目な坊主がいたものでしょうか」
宗近パパセリフ 2 甲野へ(僧侶の話の返答)
宗近セリフ 33 小野への諭し32、糸子へのからかい1
小野セリフ 3 すべて宗近への詫び
小野の下女セリフ 1 小野へ(真面目さをほぐすために)
糸子セリフ 1 宗近へ(不真面目さを笑う意味で)
浅井セリフ 1 小野へ(真面目さをほぐすために)

上記の中から、わたしが抽出した3つの場面の「真面目」のニュアンスについて、参加者のかたが想起するほかの表現を共有しました。
設定した場面は、以下の3つ。

  1. 8章:甲野さん&宗近さんの父上の会話
  2. 13章:甲野さん&糸子さんの会話
  3. 18章:宗近さん&小野さんの会話


こんなかんじで、話しながら出していきます。

どのシーンにも「真面目」という言葉が出てきますが、含まれるニュアンスの色が多岐にわたっています。
今日はこの小説を読んでいない人にもわかるように書きますので、夏目漱石の小説の中に出てくる「真面目」をどんな色の「真面目」ととらえたか、あなたの心の色メガネを重ねてみてください。


【1】8章の、甲野さんと宗近さんの父上の会話
甲野さんと宗近さんは幼なじみの親友。明治時代、甲野さんは父がすでに亡くなっており、宗近さんの父親(職業は僧侶)が少し頼りになるような関係です。この場面では、青年二人が比叡山の登山から帰ってきた後で、宗近さんの父上を交えて3人で会話をする場面です。
以下は、比叡山の僧侶について、甲野さんが質問をして、宗近さんの父上が返答する場面。

「あれでも昔しは真面目な坊主がいたものでしょうか」と今度は甲野さんがふと思い出したような様子で聞いて見る。
「それは今でもあるよ。真面目なものが世の中に少ないごとく、僧侶にも多くはないが――しかし今だって全く無い事はない。何しろ古い寺だからね。あれは始めは一乗止観院と云って、延暦寺となったのはだいぶ後の事だ。その時分から妙な行があって、十二年間山へ籠もり切りに籠るんだそうだがね」

▼この部分については、置き換えのイメージとしてこんな語が出ました
親切な、正しい、熱心な、ストイックな、強い意志の、誘惑に負けない、義務の遂行をする、欲を捨てる、信仰をもつ、信心深い



次。


【2】13章の、甲野さん&糸子さんの会話
糸子さんは宗近さんの妹なので、甲野さんとは幼馴染で、妹のような存在です。糸子さんは甲野さんを慕い、淡い思いを寄せています。以下はこの二人があるイベント会場で見かけた女性Sについて、うわさ話(批評話)をする場面です。糸子さんはその女(S)を一緒に見かけただけで、よく知りません。甲野さんはその女性(S)が自分の意志を持たない(ごまかす)性格の女性であることを知っているという設定です。以下甲野さんと糸子さんの会話の、甲野さんの問いかけから引用します。

「あの女はそんなに美人でしょうかね」
「私は美いと思いますわ」
「そうかな」と甲野さんは椽側の方を見た。

(中略)

「美しい花が咲いている」
「どこに」
 糸子の目には正面の赤松と根方(ねがた)にあしらった熊笹が見えるのみである。
「どこに」と暖い顎を延ばして向こうを眺める。
「あすこに。――そこからは見えない」
 糸子は少し腰を上げた。長い袖をふらつかせながら、二三歩膝頭で椽(えん)に近く擦り寄って来る。二人の距離が鼻の先に逼(せ)まると共に微かな花は見えた。
「あら」と女は留まる。
「奇麗でしょう」
「ええ」
「知らなかったんですか」
「いいえ、ちっとも」
「あんまり小さいから気がつかない。いつ咲いて、いつ消えるか分らない」
「やっぱり桃や桜の方が奇麗でいいのね」
 甲野さんは返事をせずに、ただ口のうちで
「憐れな花だ」と云った。糸子は黙っている。
「昨夜(ゆうべ)の女のような花だ」と甲野さんは重ねた。
「どうして」と女は不審そうに聞く。男は長い眼を翻がえしてじっと女の顔を見ていたが、やがて、
「あなたは気楽でいい」と真面目に云う。
「そうでしょうか」と真面目に答える。
 賞ほめられたのか、腐(くさ)されたのか分らない。気楽か気楽でないか知らない。気楽がいいものか、わるいものか解しにくい。ただ甲野さんを信じている。信じている人が真面目に云うから、真面目にそうでしょうかと云うよりほかに道はない。

▼この部分については、置き換えのイメージとしてこんな語が出ました
素直に、正直に、従順に、硬派な感じで、シリアスに、真剣に、ガチで、笑顔で、照れて、チャラくない感じで、no kidding(ふざけることなしに、という感じ)
英語はわたしが出したのですが、この場面のような「ふざけていない」も「真面目」になる。



次。


【3】18章の、宗近さん&小野さんの会話
小野さんは、甲野さん・宗近さんと同じ学校の青年です。小野さんが周囲の思いとは違う方向へ自分の進路を進めようとしているのを、宗近さんが説得する場面。小野さんは、宗近さんのことを「活動も性格も安定した人物」だと思っていて、宗近さん自身もそれを認識しています。以下の引用部分は宗近さんの説得から始まります。

「僕が君より平気なのは、学問の為でも、勉強の為でも、何でもない。時々真面目になるからさ。なるからと云うより、なれるからと云った方が適当だろう。真面目になれる程、自信力の出る事はない。真面目になれる程、腰が据わる事はない。真面目になれる程、精神の存在を自覚する事はない。天地の前に自分が儼存(げんそん)していると云う観念は、真面目になって始めて得られる自覚だ。真面目とはね、君、真剣勝負の意味だよ。遣っ付ける意味だよ。遣っ付けなくっちゃいられない意味だよ。人間全体が活動する意味だよ。口が巧者に働いたり、手が小器用に働いたりするのは、いくら働いたって真面目じゃない。頭の中を遺憾なく世の中へ敲きつけて始めて真面目になった気持になる。安心する。実を云うと僕の妹も昨日真面目になった。甲野も昨日真面目になった。僕は昨日も、今日も真面目だ。君もこの際一度真面目になれ。人一人真面目になると当人が助かるばかりじゃない。世の中が助かる。どうだね。小野さん、僕の云う事は分からないかね」
「いえ、分ったです」
真面目だよ」
真面目に分ったです」
「そんなら好い」
「ありがたいです」

(中略)

「要するに真面目な処置は、どうつければ好いのかね。そこが君のやるところだ。邪魔でなければ相談になろう。奔走しても好い」
 悄然(しょうぜん)として項垂(うなだ)れていた小野さんは、この時居ずまいを正した。顔を上げて宗近君を真向(まむき)に見る。眸(ひとみ)は例になく確乎(しっか)と坐っていた。
真面目な処置は、(以後はストーリーの主軸に入っていくため割愛)」

▼この部分については、置き換えのイメージとしてこんな語が出ました
誠実、素直、真実、正直、本気、真剣、がむしゃら、愚直、しっかりする、現実的、更生、肝をすえる、腹をくくる、覚悟する、役割を果たす、責任を果たす、自己犠牲、諦念、有限実行、自分と向き合う


ここは、この小説のひとつの山場の場面です。
長い小説の最後のほうまで読んで、ここで感動する人もいれば、「は?」という印象を持つ人もいる場面。
この部分をどう捉えるかが、そのままあなたが「生きにくい」と感じる状況を映しているであろう、そんな場面です。

夏目漱石は、別の短編「趣味の遺伝」で、「真面目」という日本語について、このように説いています。

滑稽とか真面目とか云うのは相手と場合によって変化する事で、高飛びその物が滑稽とは理由のない言草である。女がテニスをしているところへこっちが飛び上がったから滑稽にもなるが、ロメオがジュリエットを見るために飛び上ったって滑稽にはならない。
滑稽の裏には真面目がくっついている。大笑の奥には熱涙が潜んでいる。雑談(じょうだん)の底には啾々(しゅうしゅう)たる鬼哭(きこく)が聞える。


「真面目」という言葉の用途は、「チャラくない」というレベルから「自己犠牲」まで、とにかく幅が広い。
そして、「素直」から「信仰をもつ」まで、相手のマウントに対する受身の取り方のバリエーションも多い。
骨太な思想の軸にもなり得るし、第三者から見たら呪詛とも思えるような言葉を、「そうあることが望ましい状態」という善コーティングで日常的に使っているわたしたち。
この分解演習であぶりだされたのは「従う」という要素。なにに従って生きるのか、という巨大な問い。
今回の演習の中でも「誘惑に負けない」「義務の遂行をする」「従順に」「役割を果たす」「自己犠牲」などの代替ワード案が出てきましたが、言葉だけをリストすると、まるでバガヴァッド・ギーターのクリシュナの話を聞いているかのよう。
「真面目」の裏にくっついている「滑稽」を見落としていないか。「滑稽」の裏にある「真面目」を見落としていないか。追い込まれたときほど、この視点にもれなく立ち返りたい、そういう種類の知恵。こういうのを、「余裕」というものかもしれません。


▼関連補足