夏目漱石の「虞美人草」はラストがジェットコースターで、そのなかにひとつ「人が人を諭す」場面があります。
その場面のセリフを読んで
「説得された、ジーンと来た」
「問題解決能力が高い人が言っているので納得する」
などの意見があるいっぽうで、
「説得されるんだけど、これどうなの? と、なんかモヤモヤします」
という意見もありました。揺れている人も多かったです。
この場面は、わたしも通信販売を見ながら高額商品の購入を迫られているかのような、誘導されているかのような感情が湧き起こりました。
今日は「説得されるんだけど、これどうなの?」の部分についての談義をまとめます。以下の中の、太字の部分で「どうなの?」が発動するという意見が多かったです。以下、18章の宗近さんの長セリフ。
「僕が君より平気なのは、学問のためでも、勉強のためでも、何でもない。時々真面目になるからさ。なるからと云うより、なれるからと云った方が適当だろう。真面目になれるほど、自信力の出る事はない。真面目になれるほど、腰が据わる事はない。真面目になれるほど、精神の存在を自覚する事はない。天地の前に自分が儼存(げんそん)していると云う観念は、真面目になって始めて得られる自覚だ。真面目とはね、君、真剣勝負の意味だよ。やっつける意味だよ。やっつけなくっちゃいられない意味だよ。人間全体が活動する意味だよ。口が巧者(こうしゃ)に働いたり、手が小器用に働いたりするのは、いくら働いたって真面目じゃない。頭の中を遺憾なく世の中へ敲(たた)きつけて始めて真面目になった気持になる。安心する。実を云うと僕の妹も昨日真面目になった。甲野も昨日真面目になった。僕は昨日も、今日も真面目だ。君もこの際一度真面目になれ。人一人(ひとり)真面目になると当人が助かるばかりじゃない。世の中が助かる。――どうだね、小野さん、僕の云う事は分らないかね」
Bさん:人間全体が活動する意味だよって、一瞬感動するんですけど
うちこ:うん。
Bさん:するんですけど… ってなる。
うちこ:全体って、範囲どこよと思うんですよね。小野ボディいっこ(個体)のことなのか、小野さんとそれをとりまく周辺のことなのか、日本・社会・人類と、もっと大きいのか。
Bさん:世の中が助かる。 で終わっているから、混乱する…
うちこ:マクロのこととミクロのことを交互に出してくるから、混乱しますよね。
わたしはこの流れを聞いていて、個人戦だと思っていたのに「え? 団体戦だったの?」というような感覚になりました。一対一なのに団体戦のような。
Oさん:この宗近さんは、ヤンキーが優等生をつめているような感じがするんですよね。
うちこ:あぁ、まさにそういう感じだ…。このつらさは、そうだねぇ。
Oさん:おかしいんだけど、力関係の面で負けちゃってるから従うしかないような…
うちこ:この手前のところで小野さんが「いるです」って2回言いますよね。こんなふうに日本語がおかしくなるほど、詰めてるもんなぁ。
(以後しばらくモヤモヤを共感)
Sさん:最後に「世の中が助かる」って言い切ってるけど、この「世の中」って、ちっちゃ…
(爆笑)
と、まあ爆笑もしたのですが、こういうことはやはり日常で多いと感じます。
急に主語を拡大されると、ヒく
という感覚。
まえに「悪口の受け止めかた」というのを書きましたが、それを思い出します。
近頃、「むやみやたらに主語を拡大しない」という抑制って、ほがらかにシャープに老いていくためのかなり重要なポイントじゃないかなと思うようになりました。「範囲指定をしない話しかた」をするときは、それが自分の中で起こっている感情であることを認めて「わたしはこう感じる。だからこうして欲しいと願う」という意思表明をしなければいけないな、と。言いかたはすごく難しいけれど、日常ではこういう通信販売みたいなトークをなるべくせずに生きていきたいです。
▼関連補足