うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

ズルい言葉 酒井順子 著


友人がネットにアップしてた読書感想コメントを見たらおもしろそうで、読みました。
序盤は「わからなくもないが、疲れそう。」という印象を持ったのだけど「今度、ごはんでも」という言葉のトピックで「わかるーーー!」となった。

メール時代の今は、「今度、ごはんでも」「いいですね」「いつがいいですか」「そちらのご都合は」「私はいつでも」「ではまたご連絡します」みたいな、一向に計画が具体化しないメールが延々と続くのが面倒になったりもするものです。

LINEを使う人は、これが減らせているのではないかな。わたしは「今度、ごはんでも」に地名も曜日も時間もない時点でスルーしてしまう。だんだんそうなった。



この感覚も、わかるー。となった。「してあげる」

「してあげる」にしても「ごはんをあげる」にしても、その手の言い方をすればするほど、人間のエゴはかえって浮き彫りになる気がするのです。犬の首を鎖につなぐのであれば、「エサをやる」でなくては、かえって犬を馬鹿にすることにならないのか。

わたしもヨガの先生ですが、ほかのヨガの先生が身体に対していう「足首を回してあげる」などが妙に気になります。頭が足首を飼っている感じが。



以下も、するどい。「していいですか?」

許可されることを前提としての「いいですか?」を言う人は、へりくだっているようでいて、本当は全然へりくだっていないのです。それどころか、「私がこうやって下手(したて)に出れば、あなたはさらに私よりも下にいかなくてはならないわよね?」ということがわかっている上での「いいですか?」でもあるわけで、
「グラスワインをもう一杯いただいてもいいですか?」
 と言うことによって、お店の人を精神的にはいつくばらせていると言ってもいいのではないか。

これは、精神的にはいつくばることを強要される「サービス提供側」になると、よくわかる。「このお客さん、コンプライアンスおたくだ。ヒステリーを常識でコーティングしてる」って感じる。



以下は、おもしろい。「私、大食いなんです」

「たくさん食べる女性が好き」と言う男性は、決して「たくさん食べて太っている女性が好き」なわけではありません。たくさん食べれば太るのは自明だというのに、彼らは「たくさん食べる、けれど太ってはいない女性」が、つまり「新陳代謝がものすごく良い女性」が好きと言っていることになる。ま、私達も「たくさん食べて太っている男性が好き」なわけではないので、同じことなのですが。

新陳代謝がものすごく良いだけでもダメですたぶん(笑)。「お〜いし〜い」とか「すご〜い」とか、リアクションができないと。めちゃくちゃ代謝のいいわたしからの、リアルなアドバイスですよ。


初期設定値のちがいについて触れた「なかなか」は、ああそうか! と日本語の勉強になった。わたしもこの著者さん同様、「なかなか」と言われるとあまりよく感じなかったので。
全般感じ方は似ている気がしたのだけど、そこまで気になるものでもなかった。わたしはあまり人と食事に出かけないので、気になることが少ないのかな。