うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

空海「三教指帰」 加藤純隆・加藤精一 翻訳


フィジカルだけでも相当なヨギなのに梵語もあやつってインド思想を丸呑みしてきた空海さんが、若き日に書いたエンタメ小説。
5人による対話討論形式で、その説法劇を追いながら儒教道教も仏教も学べてしまう、まるで福袋のような構成! 訳のまろやかさの効果もあり、シンプルに小説としてすごくおもしろい。24歳の時点でこんな思想を持ち、しかもこんなストーリーに乗せているなんて、天才にも程がありすぎる(空海さんはこれを書いた6年後に遣唐使として中国INしています)。
「亀毛先生の儒教」「虚亡隠士の道教」両説法に引き込まれる展開のあとに仏教の仮名乞児が語りだした時点で、「また説法したら気持ちよくなって負けのパターンか」と思ったら展開が変わる。途中の法華経の世界の語りでは、脳内で西遊記の映像が展開する。
全体の中では、「忠」と「孝」を重んじる儒教的な人物に向けて、仏教のスタンスで「親孝行」「親不孝」への考え方を語る仮名乞児の場面に引き込まれました。今でも日本人には儒教的概念による「よきこと」がベースに根強くあると思うので、ここは胸がギューっとなった。


師の説法場面では、序盤の「儒教」「道教」の教えがとにかく聞かせる、読ませる。おもしろい!

儒教・亀毛先生の説教より)
 他人の短所や欠点ばかり述べて、あの崔子玉の座右銘として名高い「十韻の銘」で「人の短を言うことなかれ」ではじまる名文や、「多言することなかれ、多言にはわざわい多し」などの名文が載っている「三緘の誡め」などをあなたはまったく考えず、ことばというものは、時には、生命にもかかわる重要なものであるのに、あなたはそれを慎もうとしません。

おとなの慎み。




亀毛先生は、「人間にはよいつれあいが必要」とも説かれます。

 展季という人は女性を近づけなかったといい、貞潔といわれますし、子登という人は隠者として北山の土窟に住んで孤独な生涯を送ったといわれますが、世の人々は展季や子登とは違うのです。巫山の女神にも似た、姫氏の娘のような、美人で気だての善い女性をえらびましょう。洛川の女神にも似た、蝉の羽のように鬢(びん)のきれいな、姜氏の娘のような新妻をさがしましょう。

もっと早く読んでおくべきだった!




道教はかなりヨガに近いので、虚亡隠士の説教にグイグイもっていかれます。

(「道教を伝うるには人を選ぶべし」より)
短い釣瓶縄で水を汲もうとしても、つるべが水面に届かないから水が汲めないのである。ところが人々は、水が汲めないのはこの井戸が涸れているからだと思ってしまう。また、小さな手の長さや指の長さなどで海水の深さを測ろうとしても、腕をのばし切ってしまえば、それ以上は測れないのであるが、人は誤って、海の底ももうこの辺だろうと思い込んでしまいがちである。その故に、道教についても、授けるにふさわしい人物でなければ口をとざし、櫃(はこ)に納めて深い泉の底にかくしてしまうのである。後になってその人の能力を見定めた上で、はじめて櫃を開いて、よく人物を択んだ上で、これを伝えるのである。

道教は水の喩えがいいですよねぃ。




ヴェーダンティックなことも語る。

(「仙人の道、誤解と正しい用心と」より)
およそ万物を創造し化育する働きは、巨大なからくりで粘度が陶器を作り、溶けた鉄から鋳物を形づくるようなものであるが、この創造の働きには、彼れと此れとの差別をつけることもなければ、一方を愛し、他方を憎むということも無い。

ブラフマニズムの中国版。




仙術の話になると、

 仙術を学ぶ者は、先ず、自分の手足の届く所では虫けらさえも傷つけてはならない。また身体の内にあるものは、精液、唾液さえももらし捨ててはならない。身体では臭いもの穢いものから離れ、心では貪りの慾を絶ってしまう。また、感覚の世界から遠ざかり、目には遠くを見ることを止め、耳にはながく聴くことをしない。口には粗悪なことばを息(や)め、舌には濃い味覚を断つのである。

ジャイナ教やハタ・ヨーガ・プラディ・ピカーのよう。「遠くを見ることを止める」というのが妙に刺さる。




つづき。養生訓のような箇所。

 具体的にまず食物について言えば、稷(きび)・麦・豆などの五穀は腑(はらわた)をくさらせる毒剤であり、にら・らっきょう・にんにくなどの五辛は目をそこなう猛毒なのである。醴醪(さけるい)は腸(はらわた)を切断する剣、豚肉や魚類は寿命を縮める戟(ほこ)なのである。
 次に生活についてみれば、蝉の鬢、蛾の眉を持った美人に触れることは命を伐る斧であり、歌をうたったりおどったりするのは生命をうばう鉞(まさかり)である。また、大笑いや大喜び、極度に忿り、極度に哀しむといった感情の高ぶりは生命をそこなうところが多い。

いろいろおもしろい語りです。




さらにこの本には、末尾に空海さんの略伝があります。そこにある「最澄さんとの決裂の理由」説明がわかりやすく、てあらためて驚く。

(「空海最澄の意見の相違」より)
 最澄は、天台の教学に対する各宗の批判に答えて弘仁四年九月一日、『依憑天台集』一巻を著作した。この書の論旨は、奈良仏教の三論・法相・華厳などの各宗が天台の教学について多くの論難をしかけてくるのに対し、各宗の祖師たちはいずれも天台の教学に依憑(物真似)して論を進めているではないか、と反論し、天台の教理を引用している箇所をいちいち指摘したもので、最後には『大日経疏』の筆録者である一行と、真言宗付法の第六祖であり金剛頂経系統の伝訳者である不空という、真言宗でたいせつにしているこの二名をも俎上に乗せて批判してしまうのである。

不空三蔵を同じ土俵に乗せちゃったらそりゃあ……。でも空海さんはそのあとの書簡で「考え方を改めれば、(理趣経を)すぐにでもお貸ししましょう」と言っている。これ、ものすごく寛容ですよね。
わたしはこの部分を読んで、この最澄さんの行う批判のスタイルは苦しいなぁと思いつつ、日本人らしいずうずうしさ、とも感じました。権威を得た(と思った)らそれをベースに仕切りなおしてしまえるメンタリティ。こういうずうずうしさって、なんだろう。最近よく考えているテーマ。

そんなエピソードはさておき。
中国へ渡る6年前の時点(797年頃)で、すでにここまで思想を体系的に理解し、物語に仕立て、しかもそれがかなりエンターテインメント性の高いものであるという衝撃。これは新年に読むと身が引き締まる。そういう本です。


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