うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

バガヴァッド・ギーターと「バカの壁」


わたしはベストセラーになった養老孟司さんの「バカの壁」を読んだとき、バガヴァッド・ギーターに書いてあることみたいだな…、と思いました。
先日東京のギーター会で、そう思うきっかけになった節を選定された方がいらっしゃいました。
そのかたは田中嫺玉さんの「神の歌」を読まれていたので、その引用で紹介します。

禁欲や修行をしない者
信仰心なく 真理を学ぶ心のない者
また わたしに反感をもっている者には
この秘密の知識を話してはいけない
(18章67節)


選定者のHさんがこの節が刺さったという理由を要約すると

  • 不変の大事な真理であるにもかかわらず、それを話してはいけない人がいるということに驚いた。
  • いままで自分は、大事な真理ならばすべての人が知ったほうがよいのではないかと思っていた。
  • 知るべきでない人が知るべきでないタイミングで真理を知ると、弊害がある場合もあるということと理解した。

とのこと。
そうなんですよね。とくに最近は「シェアする」という表現をカジュアルに耳にするので、わたしも初めてこの節を読んだときは、「クリシュナは、こんなことも教えてくれるのか!」と驚きました。このような説きかたはコーランとも似ています。コーランに似た部分を想起して推測すると、「ほかのことを信じている人に、自分の信じるものを伝えても争いになるだけ」ということかな。



Hさんは、日常に照らし合わせて、以下の実感から「なるほど」と思ったそうです。

明らかに間違った選択をしている(と私が思う人)に対して、どこまで私の考えを伝えるべきかを迷うことがあります。その人たちは無意識だとは思うのですが、明らかにトラブルが起こりそうな選択をしているように私には思えます。

ここも、参加者がタテノリでうなずきまくりでした。
こういう思いはわたしももちろんあって、でもギーターを読むようになっていちばん変わったのは、このような場面での考えかたかもしれません。
わたしは、以下のようなことを口にしたくなるような "思い" は、自分の状態の悪さをあらわすものと思うようになりました。

  • ほらね
  • そうなると思っていた
  • いわんこっちゃない
  • 自業自得だ
  • 因果応報だ
  • ○○に決まってる

このようなことを人間が口にすることに対して、「状況によってどう展開したかわからないことに、後出しジャンケンのように便乗するセコさ」を感じる。ギーターを読むことで「なんかクリシュナに便乗しようとしてなぁい?」とツッコミを入れる気持ちが具現化されたのかもしれません。
「いいことなのだから、やったほうがいいに決まっている」という短絡的な思考やおしつけの正当化は、危険な思考なんですよね。テロリストと同じ発想。


先の節を選定されたHさんは、以下の節を関連づけて読まれていました。
言いかたや伝えかたに具体的に悩んだことがあると、以下はたいへん刺さる節です。

果報に執着して行動する愚者たちの心を
賢明な人は かき乱してはいけない
彼らが奉仕の精神で仕事をするように
だんだんと導き 励ましていくことだ
(3章26節)



物質自然(プラクリティ)の三性質(トリグナ)に目をくらまされて
世俗の人は物質的活動に執着する
それが知識欠乏に原因すると知っても
賢明な人は彼らの心を不安にしてはいけない
(3章29節)

「かき乱してはいけない」「だんだんと導く」「励ましていく」「不安にしてはいけない」
たしかに。なのだけど、すごくむずかしい。ここは子育てをしている人にも刺さる節かと思います。


「愚者」と「賢明な人」の間に「信仰」がない設定の国で暮す日本人のわたしとしては、この「信仰」にあたるところに何を設定するかも、日々考えるところです。
ここには「倫理」や「道徳」や「空気」や「ムード」などが入るのだけど、その都度考えるのって、けっこうしんどいんですよね。
ギーター会で話していることのほとんどは、じつはこのあたりの話なのかもしれません。


<ちょっとしたお知らせ>
ギーター読書会を、11月に神戸でやります