うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

語るインド 伊藤武 著


語根からサンスクリットを雰囲気たっぷりに解説してくれる、とてもおもしろい本です。
中村元先生や佐保田先生の本を読んでいると、注釈に「この語根は○○であるから○○という意として訳した。パーリ語でも同様にほげほげ……」というような、解釈の方向性を意思表明したコメントがよく見られます。これまで「サンスクリット語ってのはこうやって理解していくのかぁ」と漠然と感じていたのですが、この本を読んだら例がたくさん書かれていました。しかも、おもしろエピソードとともに。

この本の副題は「もっとディープにインドにハマるための発作的サンスクリット入門」なのですが、まったくそのとおりの本です。ビートルズマハリシサイババも出てきます。インド史の歪みが生み出したという「暗殺教団タグ」のエピソードが玄奘三蔵の物語とともに語られていたり、濃くておもしろいインド話がドカスカ登場します。


この本で、

鼓(つづみ)の由来はサンスクリット語の dunndubhi(太鼓の一種)

ということを知りました(43ページ)。
「dunndubhi」はハタ・ヨーガ・プラディー・ピカー4章の、音の話が展開しまくるところで出てくるのですが、英文で読んでいたときにインド人の先生に「dunndubhiってなんですか?」と訊ねたら「こういう、ドラムのようなものでね」と教えてもらったのだけど、鼓かよ!(笑)
日本語になっているサンスクリット語って、仏教っぽいもの以外は想像しようとしたことがなかったので、楽しくびっくり。



チャクラの説明の流れもすばらしくて

<こころ>は脳に在る、とするのが今日の科学だ。対し、古科学では、<こころ>は全身に在る。腹黒い、女は子宮で考える、などの表現がその名残だ。精神活動は、脳だけではなく、全身体の器官・細胞の生命的運動と分子、原子、原子以下の超微な物質運動によって担われている。(91ページ)

というところから展開します。



インド思想を理解するとき、知っておくといちいち理由を考えなくてよくなるポイントに「なにかとシンボライズする」というのがあるのですが、そこの解説は感動もの。

<153ページ 第12話 「3」に籠められたインドの原理 より>
 三権分立ではないが、インドの抽象世界には、1=3、3=1、の原理がすべてにわたって行き届いている。
 創造は光明・活動・暗黒の三つの要素から成る。
 アーユルヴェーダでは、健康を左右するのは気・血・水の三つの体液(ドーシャ)。
 ブッダ法身・報身・応身の三身。仏教は仏・法・僧の三宝。仏教法典は経・律・論の三蔵。仏像は三尊形式だ。
 宇宙は地・空・天の三つの世界から構成され、存在は創造・維持・破壊の三態を呈する。
 そして、この1=3、3=1の原理を、アインシュタインの相対性原理の公式 E=mc2 のように、また神話における大母の力のように、統一的に表した音が <オーム> なのである。


(中略)


 存在は創造・維持・破壊の三態から成り、それぞれブラフマー・ヴィシュヌ・シヴァの三神に振り分けられる。
 しかし注意してほしいのは、三者は異なったステージにあるのではないということだ。創造も維持も破壊も <一なるもの> を異なった言葉で語ったにすぎない。シヴァの信徒にとって、彼らの至高神シヴァが同時にブラフマーでもヴィシュヌでもあるように。ヴィシュヌの信徒にとっては、ヴィシュヌがシヴァでもブラフマーでもあるように。

こういうことを、教えて欲しいんですよね。こういう感じで。これも以前インド人の哲学先生に質問したことがあって、その回答は回答でおもしろかったのですが(いつか書きますね)、インド人の感覚だと「振り分けられる」という説明にはならない。日本人でサンスクリットのニュアンスがわかる人の解説って、やっぱりすごく貴重。



理趣経にある「sukaha(スカ)」の解説もよかったぁ。

 スカは快楽と訳されているが、快楽はどうも淫靡な感じがする。なんの苦 duhkha もなく、喜びに満ち溢れた全的状態とでもいえようか。第3話で述べた『理趣経』の「清く尊い菩薩の境地」というのも、このスカの状態を表しているのだ。
 そして、このスカは、われわれがエゴを滅ぼしたとおきに、われわれの内から湧き出てくるものであり、それこそがヨーガであり、ヨーガの狙いなのだ。(169ページ)

空海さんは中国にいる間にサンスクリット語をマスターしていたそうです。「理趣経貸してくんない?(最澄)」「やだーっ!(空海)」のエピソードの背景が、ますます沁みてくる解説です。




このほか、特に「そうだったのか!」と、思ったことメモ。

  • as は英語で is にあたる(175ページ)
  • tan(繁栄)+ tra(方法)でタントラ(129ページ)
  • 日本語の "はらはら" の由来がハーラハラ(猛毒)(186ページ)
  • 名前の終わりに「イーシュワラ」が付いたら、その神はシヴァのこと(187ページ)

サンスクリット語はおもしろいんだなと、ますます興味がわいてきました。
わたしはいま、サンスクリット文字を絵としてみていて「31=あ」「311=あー」なんて感じで少し覚えはじめたところ。どうしても知りたい文字や語だけ、教典のなかの字を目の写し検索で拾っています。この本を読んだら、これから長い年月をかけてサンスクリット語をゆっくり学んいくための、「わくわくする地図」を手に入れてしまったような気分になりました。


「ヨーガ・スートラ」のなかに、「神聖な書物を研究しなさい」みたいな節があるのですが、サンスクリット語マントラって「訳文が意味ありげにうまくまとまってるけど、ここってダジャレなんでしょ?(音の韻を踏んだのよね?)」と思うことがけっこうあります。ここは神聖モードでジーンとするところじゃなくて、「うまいっ☆」って膝を打つところなのでは?! と。
インド古典は、そういう楽しさがあります。いままでそういうことはうっすら思うだけだったのですが、そういうノリまでわかるようになったら楽しいだろうなぁ。学ぶ意欲に火をつけられちゃった。


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