うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

日本式では三つの身体


わたしはヨガを続けるようになってから、人には三つの身体があると感じるようになりました。
三つの○○というのはインド思想によくあるもので、たとえば三大神(ブラフマー・ヴィシュヌ・シヴァ)やトリグナ(純性・激性・鈍性の三つの要素)、三苦というのもあります。

ヨーガの教えの中では

  • 精神体(スピリチュアル・ボディ)
  • 物質体(マテリアル・ボディ / 肉体のこと)

というふうに分けて考えられることが多く、心身合一といえばこの合一で、さらには神とも合一していきます。神との合一は、日本への伝わり方としては「梵我一如」というと見覚え・聞き覚えのある人が多いかもしれません。
で、これはインドの思想。インドは宗教国家ということになっています。資本主義の宗教国家。



さてさて、そして、わたしたちは日本人。資本主義の法治国家という環境で暮らしています。
わたしはヨガを通して多くの人の行動や発言を見ていくうちに、日本人の場合は以下の三つの身体でできていると思ったほうがよいと考えるようになりました。


 精神体・物質体・世間体


この最後の「世間体」の比率を織り込まずに話をするのは不親切かもしれない、と思うのです。
ヨガの先生が「精神体・物質体」の話をすると「シューキョーっぽい」と言われるのは、そらぁそうかもね、と。資本主義×法治国家の環境で暮らしているんだもの。
「精神体・物質体」の話にどっぷり浸かりたい人ほど、帰宅してから家族と折り合いがうまくつかなくなったり、社会と折り合いがつかなくなってしまう。このようなよくある問題も、三つの身体と考えればストンとおちる。


これはここ数年で気づいたことなのですが、日本で暮らしていくうえでは「世間体」も肉体の延長として管理したほうが、精神に負担がありません。
中村天風さんが「人に好かれる人間になること」を説いたのは、こういうことなのではないか。近ごろ、そんなふうに考えるようになりました。もしそうだとしたら、日本式のインテグラル・ヨーガの提唱のありかたとして、すごく適切な言葉選びだと思います。
本の紹介でも書きましたが、ほんとうに粋でおしゃれで、「世間体」を置き去りにしていない。
わたしも妙に影響されちゃって、近ごろよくシャツにアイロンをかけています。