うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

明治大学博物館 刑事部門 / 阿久悠記念館

明治大学アカデミーコモン
東京にこんなところがあるなんて知りませんでした。先日、友人が「いま子どもに地獄のことを教える教育が話題らしくて。テレビでやってました」というので、スリランカで地獄絵を観に行った話をしたら、「だったら明治大学の地下に、うちこさんが興味を持ちそうな展示がありますよ」と教えてくれました。大学運営の博物館(無料なの)。
そしてなんと同じフロアに「阿久悠記念館」なるものが。昭和女子ならば迷わずハシゴせねばならない案件が目と鼻の先にあるというのはどういうことでしょう。


明治大学博物館 刑事部門」は、コンパクトながらメッセージもストーリーもしっかりしています。「人を裁くということが、どういういことか」という強い軸がある。すばらしい。すごいな明治大学
冒頭にある展示の並びの時点で、筋立てがいいなぁと感じました。「喧嘩両成敗」の歴史。
レプリカも含め

  • 御成敗式目
  • 今川仮名目録(今川氏の。「喧嘩両成敗法」がすでに含まれる)
  • 公事方御定書(吉宗の)
  • 武家諸法度
  • 切支丹禁制(1711年)
  • 徒党逃散禁制(1770年)


の歴史をたどっていくと、日本の常識感の歴史が見えてくる。
時代劇でも見るけれど、昔ドーンとおカミがポリシーを掲示する告知は、いまはメディアがやっている。
いつの時代も、それがどんなふうに人の意識に届いているのかというのはわからないし、その時代ならではのムードから生まれるもの(「生類憐み令」が象徴的)があったのだけど、昔は着地として決められたもののアウトプットがものすごく「固体」。降りてくる命令が、今よりもリアルな感じがしただろうな。
わたしはニュースを見ていて、「こういうことになりました」という情報を見ても、「それはどれだけカタいのか。あとでひっくり返ったりする可能性ありなのだろうか」と考えて、少し混乱する。社会勉強不足もあるが、マイルストーンが見えない。
情報が多くなって、いままで入ってこなかった粒度のものまで含まれるというのもあるんだろうな。社会の中で生きることの主体性がふわっとしてくる背景には、ムードと法が頭の中でごちゃごちゃになってしまって、情報処理が個人に任されて、その量もとっくにキャパオーバーしちゃっているという現状があるように思う。感じることのエネルギーを使い果たした状況で情報に触れたら、「みんなの意見」にはじめから寄りかかってしまうのも、無理もないところがある。なるべく自分で咀嚼しようと思っていても、全部やっていたら自分の好きな分野の勉強に割くエネルギーが弱くなってしまう。


昔のこういうドーンとした法令の「お札や御誓文」を見て、昔は家族や近所の人に「あれはどういう意味?」ということを聞いて、背景も含めて知ろうとしただろうなと想像する。知るために、伝えるために、それはやさしいものでもチクりのようなことでも、すごく行動をしていた時代。久しぶりに時代劇を見たくなった。



「裁く条件」の展示よりも「裁かれかた」の展示のほうが何倍もインパクトがある。入り口に「けっこうきつい描写もありますが、史実です」という趣旨の看板がある。処刑や拷問についての展示。
「裁かれかた」の法も展示されていて

など、海外のものも紹介されている。



レプリカなのだけどなんだか芸術的に見てしまったのが「ニュンベルクの鉄の処女」。扉を閉めると針が身体に刺さり、のちに床が抜ける仕組み。


(写真NGなので落書きレベルの絵で失礼)

鉄の処女」自体はWikipediaで見ることができる。「処女」の「処」は処刑の処? と思ったのだけど調べたら違っていた。おそろしい話だった。
Wikiの「鉄の処女」伝説に書いてあります)




わたしは


人間は残酷になれてしまう生き物で
残酷の矛先は他人であったり、自分であったり
だから、宗教がある。


ということなんだと思っていて、「人間」でない生き物も共食いをしたりするけれど、そこには生命固体の生き残りがかかっていて、残酷とは違うんですね。
人間は、そうでないときにも残酷になれてしまう。何の生き残りをかけているのだろう。
いや、生き残りではなく、追求ではないだろうか。



刑罰の歴史を見ていると、裁く側の快楽ではないか? と思うものも多い。



日本の刑罰の歴史を見た中では

  • 火あぶりは明治元年まであった
  • 江戸の刑罰は見懲らしのための厳罰主義
  • 目明し(岡っ引き)は非合法の存在だった

などのことが印象に残った。



背景までふわっと描かれているキリストの踏み絵レプリカや、獄門首台木のレプリカはドスーンとくる。



むかし、入墨は罪の記録だったそうで

アディダスっぽいものなど、いくつもの図例の展示があった。
入墨にも歴史がある。



石抱拷具(別名:算盤責)→海老責の図  の順番の展示では、順番に時代を感じた。
海老責というのは蓮華座で前屈状態にして縛って放置するのだけど、正座して膝の上に石の板を詰まれる算盤責のほうがよっぽどつらい気がする。昔の人は、正座耐性のほうが強かったんだろうな。今の時代だと逆になるんじゃないかな。



こんな感じで、見たらいろいろ思うことのある展示で、子どもに地獄の絵本を見せるのもよいのですが、もう少しお兄ちゃんお姉ちゃんになったら、ここへ連れて行くとよい気がします。
大人は、けっこうグッタリきます。




なので、そのあとに


阿久悠記念館にちょっと立ち寄るとよいですよ。
なんともいい雰囲気の和室書斎が再現されています。



この建物は、明治大学アカデミーコモン
駅は東京の「御茶ノ水」「神保町」の近くです。