明治5年(1872年)から昭和62年(1987年)まで、官営から企業に買われる歴史を重ねた富岡製糸場へ行ってきました。
日本にはじめて鉄道が通った(新橋⇔横浜)のも同じ明治5年で、年代的に夏目漱石が養子に出されたのが明治元年、小学校入学が明治7年。その頃日本は外国人の指導者を招いてこのような規模の製糸工場が作られていた。そりゃ小説にあれだけ文明に対する言及が出てくるわけなんですよね…。
ちなみにその前年(明治4年)が廃藩置県。日本はこれからどんどん変わる!という高揚感に満ち満ちていたのでしょう。ものすごいスケール感でした。
富岡製糸場
入る前から書体がたまりません。
建物の中も、いちいち書体が明治っぽくて目が釘付けになりました。
繭を置いておく倉庫や繰糸所など、いろんな工場を見て回りました。
「繰」の字がたまりません。
見学中にベランダのような場所で会った人が、映画『あゝ野麦峠』を観てきたという話をしてくれて、わたしも帰ってから映画を観ました。
富岡製糸場はそんななかでも憧れのホワイトな存在であったようで、展示の説明には労働時間の変化の円グラフもあり、ここはブラックではありませんでした! というトーン。
診療所、寄宿舎の建物
これが当時の女性たちのあこがれの職場の敷地内です。
ここは病室だったそうで、日差しのたっぷり入る環境です。
ここは寄宿舎。わたしが通っていた小学校のような建物でした。
社宅の展示
社宅76というスペースは、なつかしさの塊!
ままごとキッチンのような昭和感!
券売所の前の入り口にはブラシノキ(金宝樹・キンポウジュ)が咲いていました。
いろいろ見て回りましたが、同じ時代の同じ職種でも、組織の運営によっては過酷な場所もあった。自分で本を読んで学んでみないとわからない世界であるな、と思いながら帰ってきました。