うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

毒婦。 木嶋佳苗100日裁判傍聴記 北原みのり 著

わたしは木嶋佳苗という人を「そんなにみんなでいうほどブスか?」と視覚的に感じていたので、「ブスなのに」というふうには見ていない。「モデルのような美人ではないけど」という感覚でいる。こういう丸っこい人が動くと、静止画の造形とは違うかわいらしさがあるだろうと、そんなふうに立体的に想像をしていた。


この本を読んでなにかを考えずにはいられなくなるポイントは男女によって、恋愛経験によって、法廷を見る経験によって違ってくる。わたしは、「男が女を裁くときのこと」をずっと思いながら読んだ。
この本の中で、「これが男だったら、世間の見かたはどうなんだ」と、いくつかの角度から投げかけられる。佳苗ガールズと言われる人たち、佳苗のドライさにどこかスッキリ感を抱く女性たちの気持ちは、

 毒婦は諸刃の剣だ。性的魅力のある女は愛され、ない女は女としてみなされないが、セックスを売ったり、性的魅力で男を利用したりする女は容赦なく侮蔑され、激しく憎まれる。女は、毒婦のように魅力的であれ、しかし毒婦にはなるなと、言われ続けているようなものだ。そんなことを、佳苗の裁判を通して感じてきた。(第4章/毒婦 より)

ここにあるだろう。わたしは「ひとりスターウォーズみたいな人だな」という印象を持った。フォースも操りながらダークサイドへも自由に行き来する。「堕ちる」というアップダウン、白黒がない。グレーを自在に操ってしまう人。
殺人事件の被疑者でなく、美人であったら、叶恭子と同じカテゴリで語られそうな思想の磐石さ。



法廷の描写は、想像がつく感じがして、読んでいて「ああ、やっぱり」と。そんなことばかりを思った。

 裁判員裁判では、弁護士も検事も、ドラマチックに主張する。敢えて大声を出したり、情感を込めたり、裁判員たちに「分かりやすい」工夫があちこちにされ、法廷は想像以上に感情的だ。


(中略)


弁護士に対し、検事が小声で「ばかじゃねぇの」等と感情を露にすることも時折ある。どちらも必死なのだろうが、これは男どうしの闘い? と勘違いしそうになる。なにせ、一般から選ばれた裁判員をのぞけば、弁護士も裁判官も検事も、法廷の真ん中にいるのは、ほとんどが男だ。(第1章/100日裁判スタート より)

男性による男性のための水戸黄門。勧善懲悪で固めにいく布陣といったら、偏った感想になるだろうか。裁判員裁判で初めて死刑判決がでたのは「耳かき殺人事件」。裁判員裁判はまだ始まって数年。制度を育てていく上では、こういうことになるのかな。


 声を荒らげる検事に、一度、佳苗が笑ったことがあった。傍聴席からは見えないが、きっとバカにしたように口元を歪めたのだろう。詰め寄るように、
「なぜ笑ったんですか?」
 と検事が聞くと、佳苗は彼を見ようともせずに、マイクに向かって、はっきりとこう言った。
「あなたが、常に、恫喝的だからです」(第2章/佳苗が語る男たち より)

被告人のほうが明らかにロボットで言うなら性能が高い、みたいな雰囲気になることって、たしかにある。この一貫した冷静さがこの人の最大の特徴。

 開廷後、裁判員の記者会見があった。裁判員は全員で6人だ。3人が女性、3人が男性だ。女性は恐らく、40代、50代、60代。男性は20代2人に恐らく50代だ。そのうち20代の男性2人がマスコミの質問に応じた。
「振り返ってどうでしたか?」の質問に25歳の男性は「悩んだ。苦しんだ」と話した。一方、27歳の男性は「達成感があった」「自分の持つ以上の力を出し切れた」「裁判員と裁判官の結束力が高まった」とにこやかに答えていた。それはまるでスポーツ選手の会見のように、爽やかで明るかった。


(中略)


裁判員に20代、30代の女性がいなかったことは、判決に何か影響を与えただろうか。裁判員と裁判官が "結束した" 時に、違う意見を言い出しにくい雰囲気にはならないだろうか。今回は裁判員の辞退が相次いだが、3ヶ月間仕事を休める人はそういないだろう。職業や性別や年齢が "バラバラ" とはいえ、たった "6人" はランダムに選ばれた私たちの代表と言えるだろうか。(第4章/毒婦 より)

この25歳の青年は、なにを思ったのかな。同じ傍聴経験という機会の受け止め方を思う。経験って、きっとこういうことだ。27歳の青年のコメントを読む限り、「違う意見を言い出しにくい雰囲気」は、きっとあったのではないかなと想像した。



木嶋佳苗はある意味男性的なのだけど、現代社会に生きる女性としての人物像や思想について、ここは印象に残った。

 佳苗に女友だちはいなかったという。現実を共に笑い飛ばしたり、怒ったり、人生の価値をぶつけるような友だちなど、きっと最も不要なものだったのだろう。(第2章/佳苗が語る男たち より)

ここは触れ幅の先にあるものとして、ありうる形として、なんかわかるんだよなぁ。堅牢な感じ。この人が男性だったらめちゃくちゃモテるんだろうなと思ってしまう。毒婦とジゴロの違いって、なんだろう。



裁判の後、木嶋佳苗は便せん20枚に渡る手記を朝日新聞に送ってきたという。
その内容に対し、北海道での暮らしまで追い、取材を続けて追いかけてきた筆者の気持ちがこう綴られている。

 ずっとあなたを知りたかった。だから、書いてきた。だからこそ思うのは、あなたに今聞きたいのは、「あなたが語るあなた」の話ではなく、「あなたが語る男たち」の話だ。(第4章/毒婦 より)

そうなんですよ。やっぱり。
この裁判に感じる「ああ、それでもやっぱり」という、この感じ。
「おわりに」にある問題提起が、とても具体的。

 私は男ではないから、男の立場から見えるこの世界を想像するしかない。でも、この公判を傍聴しながら、この事件を振り返りながら、何度も思った。もし、被害者が女性だったら、全く事件は違っただろうなと。
 例えば、佳苗に2度眠らされた男性が2人いる。2人とも目が覚めたときに「セックスしましたよ」と佳苗に言われ、「睡眠薬を盛られたかも」と疑いつつも、もう1度、確かめるようにホテルに行き、再び眠らされている。
 そのことが、私には、信じ難いのだった。もし私が男性と宿泊し、いつの間にか意識を失い、起きた時に「セックスしましたよ」と言われたら、恐怖でまず婦人科に行くだろう。

「それでも・・・」のリトライができてしまう男性と、「なんなら、それでもいい」と腹をくくってリトライすることしかできない女性の機能。
男性はトイレに入るときに「個室に入る」という時点で意識が決まっているけど、女性の場合はとりあえず座ってから、したいほうをすればいい。の機能の違い。


そっちが求めるグレーに、こっちもグレーで対応して何が悪い。白と黒が5:5のグレーを、どっちかに引っ張るレバーは「お金」ですよ。と、明確なルールが敷かれている。
「学費の援助」という勘定項目が「玉虫色かつ鉄板」な感じも、昔だったらない話。女がなんで勉強するのだと。親世代の人間をだますのに「親が病気で」というわけにもいかない。出資の名目も、時代と共に変わってきている。



時代をあらわす事件の記録。女性が追った、女性の記録。「女を武器に」を超えて、「女性ホルモンを武器に」というくらい、身体の細かい部分までをもコントロールして武器を扱うニュータイプ
女も男も、何度もうなりながら読むことになる一冊です。

毒婦。 木嶋佳苗100日裁判傍聴記
北原 みのり
朝日新聞出版 (2012-04-27)
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