刊行記念トークショーでお三方の話しぶりを見て、ライブのほうがすごいのかと思いきや、本でもオブラートなしな感じがいい。始終条件を整理して「死体をバラバラにするのは住宅事情の変化。埋めるとこがない」と言いながら進むスピード感と、「ここ、ここはちょっと語らせてもらいますよ」となるポイントがおもしろい。
はじめに共感したのは北原みのりさんの「裁判って、ぜんぜんジェンダーフリーじゃない」という発言。わたしは今年も傍聴へ行っていて、ジェンダーの件もそうだけど、特に電子通信機器を使った詐欺(IT処理の際に転送して横領するとかそういうやつ)の説明を聞いていると、意識も手法もいろいろ旧式すぎて驚く。
「毒婦。 木嶋佳苗100日裁判傍聴記(北原みのり 著)」も読んだけど、わたしは上野千鶴子さんの以下のコメントがズバリであるなぁ、と思う。
自分の安全のために殺したんじゃないの? だって、ちょっとでも関係を持った男性に軽く別れを匂わせたら、その男がストーカーに転じて復縁殺人、ってのが異性間殺人でもっとも蓋然性の高い殺人だから。(P20)
執着しそうな人たちがターゲットだから、殺さないと回らなかったのだと思う。その市場で複数の男性からお金を抜き出す事業を回していた、というふうに見える。
北原みのりさんは木嶋佳苗を援交世代というけれど、わたしはそこがぴんと来ない。壇密が援交世代なのは、わかる。木嶋佳苗の事件のころの東京は「セルフマネジメント時代のはじまり」「人材派遣事業の伸び盛り」の時期だったと思う。お金の稼ぎ方が細分化する環境が整って、自分でターゲットを想定してネットもうまく使いながら受注を回すスモールビジネスが始まったころ、という印象。ネット上のおしゃべりだけで完結している木嶋佳苗モデルのビジネスをしている人は、たくさんいたんじゃないかな。
東電OLの事件は、わたしはリアルタイムではよく知らない。この本を読んでその価格設定の安さに驚いたりした。
ここもまた上野千鶴子さんのコメントにうなずく。
目の前の売り上げっていう短期的な業績主義で、本当の目標じゃないと思う。(P54)
「現金を動かして稼ぐナマの商売」の感覚にエネルギーを得ていたように見えます。
カウンセラーの信田さよ子さんが少し男性側に共感するコメントをすると、上野さんにあしらわれてこういう展開になるのもおもしろい。
上野:男のクライアントは、カウンセリングにとってこれから急成長するマーケットよ。
信田:はい、これを戦略的位置取りと呼んでください。
NHKの母娘問題に出ているときには絶対聞けない信田さんのコメント!(笑)
後半までいまひとつつかめずにいた北原みのりさんが重視する考え方は、終盤に出てきた。
自分の根にある主体的な欲望をどう言語化できるのか、快楽を守っていけるのかが重要なんです。(P152)
そうかぁ「守る」という感覚でいるのか、と思った。男と同じ感覚で女という性を持っている人のようである。
以下はすごく共感した。
男の人がセックスでお金を稼ぐ場合、目の前には相手の女ではなくて男がいるんじゃないでしょうか。あくまでも男組織の中で勝ち上がっていくっていうシステムの中にいるから、傷つくっていう感覚の女のそれとは種類が違うような気がします。
わたしは「男性は男性から褒められなければ、褒められたことにカウントされない。なので女性が仕事でもないのに褒める場合は、マイナスをゼロに戻すためのときだけにしておくくらいがよいのでは」と思っているのですが、それと同じ感覚の話だと思った。女性のことは支配できてあたりまえなので、男性の中で支配の面積をどれだけとったかという計算をしていると思う。
あとがきの、ここもうなった。
女が性を売る理由やその物語を語らせたがるのはいつだって男だ。
そもそも女性はここに理由を探すエネルギーを投入できない。そんな根性がない。「ときめかないので課金します。物品も可。以上」で終わらせてしまう人もたくさんいるだろうし、実際それ以外に何があるやら。
結局女性はどこへ行っても見た目や印象で値踏みされるのだけど、そして実は男性もそうなんだけど、「それはイケメンだからアリなのであって……」と言ったらひどい目に遭うので、女性たちは「韓流・きゃー☆」て言ってる気がする。なんだか外国人の下着モデルならOKという広告表示基準みたいでおもしろい。
孤独耐性をつけない限りは、どうにせよこういう面倒くささと渡り合わなきゃいけないんですよね。わたしみたいに「きゃー☆」と思う相手が今は亡き人ばかり(平安時代とか)だと、ラクだぞぉ〜。
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