うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

BUTTER 柚木麻子 著


わたしはすごく普通の見た目をしています。体操着を着て動くことがなければ、ごくごく普通。
通勤ラッシュの中で職場へ向かうわたしを見つけ出すのはまず無理だろうし、ヨガ講師であってもモデル体型とはほど遠い低身長のわたしは、とにかく動かなければまったく普通。普段着で座った静止画ならば、どうにもこうにも、ぼんやりさん。
そんなわたしでも、もし江戸川乱歩の小説のような展開で猟奇的な誰かに殺されたら、とびきり写りのよい画像を使って「美人OL」と書かれたりするかもしれない。「ヨガ・インストラクターでもあった」なんて一行添えれば、さらに善良なイメージを演出しやすいだろう。こっちはポジティブ・バージョン。
そして同じわたしが結婚詐欺で捕まれば、「見た目、普通なのに」「いやいや。ああいう目立たないのが強いんだよ」「欲のなさそうな感じを武器にしてたんじゃないの」「ヨガのインストラクターをやるなんて、やっぱりちょっと自己顕示欲が強かったんじゃないの」「毎日ブログを更新してるって、やっぱり相当…」「インド思想やスピリチュアルな本を相当読んでいたらしいから、マインド・コントロール術なんてお手のものだったのでは」と、こっちのほうがとめどなく話が展開しそう。しそうしそう!



首都圏連続不審死事件は逮捕当時から気になっていて、容疑者について気になったのは事実や内面よりも、世間の反応でした。写真で見るかぎり「ブスか? 普通では」と思う人だし、同じ会社にいたらむしろ慕われそうな感じの体型じゃないだろうか。もし同僚だったとして、デブって言う? ブスって言う? という問いが立たないほうがおかしいと思うほど、なんだかその反応に異様さを感じていました。
最初に見た写真でそう思ったので、メディアの扱いかたを見るたびに「わたしもあんなふうにネガティブなストーリーを組み立てる材料、いっぱい持ってるなぁ」と考えるようになりました。一般的にほめられそうば技術や能力ですら、まったくよいものと思えなくなる。



わたしは事件当時から身近な人にそういう話をしていて、「毒婦。 木嶋佳苗100日裁判傍聴記」「毒婦たち 東電OLと木嶋佳苗のあいだ」も読みました。
わたしがまったくそのことを追っていなくても、当時からの同僚や友人とお茶をすれば「獄中結婚ってニュースがあったね」と話題にあがるし、この本がテレビで紹介されれば「うちこちゃん、もう読んだ?」とメールが来る。わたしは木嶋佳苗死刑囚が女の幸せや価値の示しかたを貪欲に追求することよりも、麻原彰晃という人物となんとなく重なるところが気になっているのだけど、同時に社会での女性の扱われかたをあぶり出すという点でも目が離せない。



この小説は上記のようなわたしがかねてより気にしているポイントをおさえつつ、「技術」をキーにしている。技術というのは、料理の技術。「BUTTER」を熟知した人間の思想。
わたしは事件の予備知識がたくさんあるから、この小説にはそんなにのめりこまないだろうと思っていたのだけど、どいういうわけかわたしは初めて、ごはんにバターを乗せて醤油をかけて食べてみるということをしました。この小説のなかのキジカナならぬ、カジマナの影響で。
わたしはうどん党で普段ほとんどラーメン屋へ行かないのに、この小説を読んでからはバターをトッピングできるだろうかと店の前で足を止めたりする。もうそのくらい、もっていかれました。5月は週に1回くらいグリーンピースご飯を食べていたのですが、そこにバター…、食べる直前に乗せちゃった。そこに醤油をちょっぴり垂らしてみたら、ピラフとはまた違うおいしさの新世界。
なんというか、この小説を読みながら過ごしている間に



 元気になっているではないか。わたし。
 食べることに、前向きになっているではないか。



という展開になっていてました。


いろいろひっかかるのは、ひっかかります。
なかでも「プロの後妻」とこの事件の違いについて話す男性のセリフは、なにかを引き出す。

打算に打算を重ねて、自分を傷つけなさそうな女を注意して選んだのに、結局ドツボにはまるっていうところが、日常レベルでわが身にも起きそうでみんな怖いんですよ。

打算を重ねてそんな相手が見つかると思える想像力を豊かと思うか愚かと思うか。
こういう小さな引っ掛かりがどんどん来るから、どんどん読み進めてしまう。
働きかたとか誰かを応援することとか、「距離感」についての社会現象が織り込まれているのも、要素てんこ盛りだな! と思いつつ、読み終えたあとに印象としてほんのり残る。不思議な小説です。

そして現代はまさに! と思うのは、木嶋佳苗死刑囚本人が自身のブログでこの小説に対して怒りを表明していること。そのなかにとても印象的な三行があるのだけど、その文章は「拘置所でレシピの話なんかする女がいるか、バーカ」という勢いで、なんとも力がある。
平安時代の和歌を使ったバトルをリアルタイムで見ているかのようなことが、いままさに起きている。なんだかいろいろすごいです。


BUTTER
BUTTER
posted with amazlet at 17.06.12
柚木 麻子
新潮社