先日、15年ぶりに『ヨーガ・スートラ』の解説本をじっくり再読した話を書きました。
現在は11年前に読んだ、別の本を再読しています。こうして時間をおいて同じ書物に向き合ってみたら、あることに気がつきました。
わたしの先生が「ヨーガ・スートラ自体に効力があるわけではない」と話されていた意味を理解するきっかけがありました。
先日たまたま読んだ小説のなかにそれを見つけました。
『裸の王様』という、開高健さんの作品で、昭和32年に芥川賞を受賞されたそうです。
この物語の中にある絵画講師と生徒の関係のなかに、それ(ヨーガ・スートラ)を見つけました。
極限まで抽象化してインプットする
このやり方で、生徒の心の蓋がふわっとひらきます。自然を呼び起こすようなやり方です。
子供本人のイメージに忖度を発生させないために、講師は究極まで情報をそぎ落とし、抽象化して話をします。
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『ヨーガ・スートラ』は『バガヴァッド・ギーター』 のような対話形式でなく、格言集のような形です。スートラは「紐」「糸」の意味で、一本一本がそこにあります。
解説者にセラピーを促す技術があってもなくても、その構造自体にセラピーを発生させる工夫がされているように見えます。
わたしはこれまで、「さて、ヨーガについて説明しまっせ」という宣言で始まるわりには、あんまり説明してくれない書物だな〜、と思っていました。だけどそうじゃなかった。
ああ、こういうコンセプトで編纂されたんだ・・・、と感じるきっかけは人それぞれだと思うのですが、わたしの場合は15年後に「!」(←心の感嘆)があって、それはまさに、『裸の王様』という小説で絵画講師と生徒の間で起こったことでした。
『ヨーガ・スートラ』によるパタンジャリからの誘導で心の蓋がふわっとあいた経験のある人は、ぜひ開高健さんの『裸の王様』を読んでみてください。
中編の短い小説です。この本に収められています。