うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

ミラレパの足跡 ― チベットの聖なる谷へ 伊藤健司 著

チベット聖者の教え」でミラレパさんの物語に夢中になってしまい、この本を図書館から借りました。この本は旅行記とミラレパの伝説・詩が交互に展開する構成で、とても面白いです。著者さんがチベットとミラレパの物語に魅せられ、旅の実録とミラレパ伝説が展開していくのですが、チベット入りの前にインドと中国を旅した流れから始まっています。これが、社会背景や歴史、国民性などを包括した旅の実録というリアルな味付けになっている。
旅の道程で感じたことから読み取った歴史背景、今そこに生きている人の生活の知恵、ミラレパの物語がすべてつながっている。読んでみると、現代のチベット問題について書かれた山際素男さんの著書「チベット問題」ともリンクする。東洋のなかにありながら、その苛酷な自然環境によってあきらかに他国とは違うなにかと、チベット仏教の不思議な独自性。いろいろなことがギュッとつまっているのだけど、その厳しい道のりや「いつ警察に捕まるか」とハラハラする展開に、どんどん先を追ってしまう旅行記


この素敵さが伝わるかなぁ。心のメモを紹介します。この本は「旅の物語」「ミラレパの伝説」「旅の物語」「ミラレパの詩」といったように、章が交互に展開しています。「ミラレパさんの詩」には始めて触れたのですが、いくつかの詩のうち、2つの詩にいたく感動しました。

<19ページ 序章より>
 インドには、出家者を尊ぶ精神風土がある。その風土は、古くから仏教の開祖ゴータマ・ブッダをはじめとする数々の覚者を生んだし、今世紀にはいってからも、ラーマ・クリシュナやラーマナ・マハルシなどのすぐれた聖者を世に出してきた。
 インド人は摩訶不思議なことに、がめついと同時に宗教的だ。欲望に対してイージーな一方、階級制度のしがらみも強く、欲が矛盾にぶつかって一線を越えやすい精神構造になっている。ヒンドゥー教徒ニルヴァーナ(解脱)を人生の究極目標にし、このサンサーラ(輪廻)の世界には二度と生まれてこないことを理想としているのだから、これは考えてみれば妙だ。
 本来の出家とは、平たく言えば"蒸発"のこと。インドでは、あたかも蒸発することが奨励されているかのようなのだ。家族との縁を切り、世間的な仕事にはいっさい携わらず、乞食になることが。ただし、インドには二種類の乞食がいる。俗なる乞食は社会の底辺にいるが、聖なる乞食はその頂点にたつのだ。
 インドは、けっこう極端な世界なのである。

山際さんもインドの宗教性の持つ包容力についてかかれていますが、実際に行ってみると、「がめついと同時に宗教的」というのを本当に感じる。不思議な国です。

<24ページ 序章より>
 よくインド人は宗教的、中国人は政治的と対比される。もちろん、それですべてをわり切れはしないけれど、ぼくが直面したのは確かにインドでは宗教、中国では政治だった。インドには日常生活のすみずみに宗教的なタブーがあったが、中国でタブーといえば、何と言っても政権批判である。
 中国人は、よく食べ、よく飲み、よく喋り、よく動く。抜け道があれば、全力疾走する。そのパワーには、温室育ちのぼくなどはとてもたちうちできないが、生身の人間を地でいく世界は、一度馴れてしまうと案外ラクだ。

うちこは以前仕事で、「中国人3人と私」という不思議な構成でNYを旅したことがあるのですが、そのときのパワーといったらすごかった。どこにでもチャイナ・タウンをこしらえてしまうあのパワー(ないのはインドだけらしい、という不思議も)にも不思議なものを感じます。

<29ページ 序章 より>
 つつましいチベット人のなかにも、抜け目なさやいいかげんさが目につくようになった。そもそも、お経をいれたマニ車と呼ばれる筒を手にもち、それを一回まわせばお経を唱えたことになるなど、いったい何の意味があるのだろう?

これは「図解雑学 般若心経」にも書いてありました。不思議なんだよなぁ。

<31ページ 序章 より>
 ぼくは、その聖者を生んだチベットで『ミラレパの伝記』を読み、自分でも不思議なくらい感動した。ミラレパは、本物の蒸発者だ。それは、ぼくのもっていた聖者のイメージそのものだったし、それでいてその物語には聖者伝にありがちな偽善っぽさがなく、限りなく人間くさいのだ。
 聖なるものは、俗なるものを包みこんでこそ意味がある。

参考:
ミラレパの伝記については、日本語で読んだわたしの感想よりも、お友達のユミコちゃんの感想のほうがわかりやすいです。

<99ページ 辺境の村 より>
 ぽつぽつ話すうちに、ぼくはこの家族関係をいくらか把握できるようになった。
 この家の主人は、長男のパーサンにティンリ(地名)で店を開かせ、次男に家業を継がせ、末娘をヒマラヤの向こうの寺へ出すという、かなり考えた子供の配置をしていることが分かる。先祖代々続いてきた村の生活に根を降ろしながら、ラサから押し寄せる都市経済にも対処し、仏教という精神的よりどころへの配慮も失わない。末娘を出家させたことで、結果的にネパールとのつながりも確保している。流動的な政治情勢のなかで生きのびる柔軟さを身につけているあたり、さすがは国境地帯の住人だ。

チベットの現状については、「チベット問題」の感想を参照されるとよくわかるかと思います。

<102ページ 辺境の村 より>
ミラレパの経た惨劇は(叔父に財産を根こそぎとられ、追われた)、チベット人の日常にひそむ悪意を代弁するみにでもあるだろう。このような厳しい土地では、貧困が死とすれすれのところにあるだけに、人間の欲望の深いところがあからさまになってしまう。そして、そこに根ざした祈りや呪いがある。

ミラレパの伝記は、読んでみると怖いくらいドロドロしています。「人間の欲望」と「呪い」の物語が「聖者の伝説」を生み出している。本当に不思議な魅力を持っていて、それに引き込まれている自分の恐ろしさを感じずにはいられないところが、また教え。

<148ページ ミラレパ物語3 帰郷 より>
(ミラレパにとって)不完全さと思われていたものは、実はそれ自体で完全なものであり、分別心さえもが法身の現れとして理解されるようになった。
 彼は、輪廻と解脱は相互依存しているのだということを悟った。意識の源はそのどちらにも属さず、邪見に惑わされればサンサーラ(輪廻)に陥り、覚醒に導かれればニルヴァーナ(解脱)に至る。そして、サンサーラニルヴァーナは空のなかにある。
 彼は、その秘密の教えがすべての感覚的な体験を精神的な成就へと変容させるものであることを知った。

「不完全さと思われていたものは、実はそれ自体で完全」というのは、真我を説くラマナ・マハルシ師の教えに通じるものを感じます。

<149ページ ミラレパ物語3 帰郷 より>
 彼は、人生の要所要所で女性のエネルギーに動かされてきた。黒魔術に追いやった母、ミラレパに慈愛を注ぎつづけたマルパ(師)の妻ダクメマ。そして、ここで登場するペタ(妹)とゼーゼ(結婚に至らなかった元婚約者)が、ミラレパが啓示を得るのにとりわけ大きな役割を担っている。
 このシーンは伝記のなかでも最も美しい場面だ。単独者としてありながらも、それが俗なる人間関係のなかに位置を占めたとき、ミラレパは初めてほんとうの聖者となる。俗なるものを離れて聖なるものではなく、そのふたつがひとつの動きとして見られ、それ全体が空として自覚される。

「俗なるものを離れて聖なるものではなく、そのふたつがひとつの動き」。これは、ミラレパの物語の味わいそのもの。

<163ページ 峠越え より>
 ──もうすこし先へ行ってみよう。
 そんなとき、ふと左手の川原にマニ石の堆積があった。チベット文字で、妙法蓮華をたたえる六字真言"オーム・マニ・ペメ・フーム"が彫られている。彫り口がかなり風化している。数百年、あるいは千年くらい昔のものかもしれない。赤子の頭大の丸石ばかりが集められ、これまでチベット高原で見てきたマニ石とはあきらかに違う。
 この奥まった谷に生まれ死んでいった者たちの祈り、連綿とつづく魂の群れが、化石となってうずたかく堆積しているかのようだ。ぼくは、土地の人々が魂をこめたその石の群れに接して、自分が昨日までとは異なるヒマラヤ山中のチベット圏にはいったことを実感する。

チベット密教真言が登場する場面。

<173ページ ミラレパ物語3 臨終 より>
「隠者が里で死ぬことは、王があばら家で死ぬようなものだ。これからわたしはチュワルへ行こう。 
 ジェツン(臨終のころのミラレパの呼び名)はそう言って、チュワルのディチェの洞穴に行き、ますます病の症状をあらわにした。彼はここで、自分が使った身のまわりの品々を、遺品として弟子たちに分配した。

 ひとりあることで、友を見いだそう
 低くあることで、高い目標に至ろう

ジェツンはそう歌ってから、付け加えた。
「わたしはもう長くない。わたしの言うことを聞いたからには、そのようにしなさい」
 そして、ジェツンは深い瞑想にはいった。乙touの年(西暦1136年)十二月十四日の暁、八十四の齢でジェツンは入滅した。

この2行の歌が、深く心に刺さりました。

<194ページ 検問 より>
 ゴンパは遠目にも荒れ果てているのが分かる。文化期に破壊されたものだろう。その外観は、チベット本土とはすこし異なり、同じヒマラヤ山中のブータンの寺を想起させる。ブータンではカギュ派が国教的地位を得ているから、実際つながりがあるのだろう。さらに、ブータンと日本は本来似かよった文化をもっていたことを考えると、ぼくあこのゴンパに懐かしさを覚えるのはもっともなのだ。

これも、「チベット問題」で尼僧のテンジンさんが語っていた現状。

<205ページ ミラレパの詩1 野生の行者 より>
こちらは、シチュエーションがちょっと面白い。訪れた施主たちが、ミラレパが"男の一物"をあらわにして座っているのに接し、こう言ったというのだ。
「尊者よ。あなたはわれら世間の者を戸惑わせます。どうか、それを被って下さいますよう」
 すると、ミラレパは全裸のまま立ち上がって歌った。

 (以下、『十万歌』より、ミラレパの詩)


 あちこちを放浪してひさしく
 自分の故郷は忘れてしまった


 聖なるジェツン(ここではマルパのこと)と暮らしてひさしく
 自分の縁者は忘れてしまった


 ブッダの教えに従ってひさしく
 世間のことは忘れてしまった


 山奥に棲んでひさしく
 あらゆる娯楽は忘れてしまった


 猿の戯れを見馴れてひさしく
 羊や牛は忘れてしまった


 火を起こすことに馴れてひさしく
 家事のすべては忘れてしまった


 召し使いも主もなくひとり棲んでひさしく
 礼儀は忘れてしまった


 去来する心に親しんでひさしく
 ものを隠す術は忘れてしまった


 内にトゥンモの熱(体内に熱を発する身体技法)を起こしてひさしく
 衣を身につけることは忘れてしまった


 無分別の知恵を修めてひさしく
 分別することは忘れてしまった


 二即一の輝きを修めてひさしく
 無意味な考えは忘れてしまった


 これら「十二の忘却」はこのヨーギの教え
 いとしい施主たちよ、あなた方は何故この教えに従わないのか
 わたしは二元論の結び目は解いてしまった
 あなた方の慣わしに従う必要がどこにあろう
 わたしにとって知恵とはありのままにあることだ(第51章)

「わたしは二元論の結び目は解いてしまった」。この一行に、ラマナ・マハルシ師の言葉に通じるものを感じます。


<243ページ ミラレパの詩2 神々との対話 より>
 ある夜更けのこと、ツェリンマの悪霊たちが、ミラレパの修行の邪魔をしようと攻撃をしかけてきた。

(以下、詩)

 ティン川への途上にあるこの静寂の地で
 わたし、チベットのレパ・ヨーギは不快瞑想にはいってた
 体内の気(ルン)に意識を集中させることで生み出される光景は
 すばらしい劇のように
 わたしを楽しませ、うっとりさせる

 ここにはこの世の悪霊や神々たちが
 一人残らず集まっている
 なかでも際立つのは
 ・・・(以下、魔女の描写が続く)

──この詩は、その後悪霊たちの歌が続きます。

 (以下、悪霊たちの歌った歌の一部)


 ああ、哀れなヨーギ、おまえには友も縁者もない
 この人里離れた場所は、暗くあやうい
 この孤独な道は、険しく危ない
 おまえは仲間もなく一人で進まねばならない
 ここにおまえが留まることはできない
 今すぐ出発するのだ


(著者文章)
 さて、ここからが見所だ。ミラレパは、悪霊を調伏するのではなく、逆に自分の肉体を彼らに供物として捧げてしまうという意表をついた行動をとる。このあたりは、のちにチューの行法へと展開するチベット仏教独特の要素を見てとれる。

(以下、ミラレパの詩の一部)

 
 心からの献身をもって
 このわたしの体を捧げたからには
 おまえたち皆が満足し幸せになりますよう
 願わくはこの功徳によって
 始めなき輪廻のなかで
 わたしの負う業(カルマ)の負い目が
 すべて浄化され償われますよう

このあと、ミラレパの献身に打たれた悪霊たちは、ここで一転して態度を翻す展開になります。
願わくは〜 以降のところは

「回向文」の以下のくだりとよく似ています。

 願わくは此の功徳を以って普く一切に及ぼし
 我らと衆生と皆共に仏道を成ぜんことを

<276ページ ラプチ より>
片手に頭蓋骨の鉢を持ち、もう一方の手を耳にかざしたミラレパのポーズは、一説には、体内の気(ルン)の流れをコントロールする"ロンデ"の瞑想姿勢なのだともいわれる。おそらく、もともとは何かを聞く姿勢だったものが、修行法の整備に伴い、別の意味づけをなされたものだろう。

体内の気(ルン)のお話は、「チベット問題」のロサン・ギャッツォ師のお話の中に出てきます。


<285ページ ミラレパの詩3 知恵の詩 より>
『十万歌』に見られるミラレパの教えには、インドの聖者マイトリパ由来のマハームドラー(大印)や、ナローパの六法、マルパに与えられた守護尊の生起のヨーガと呼ばれる修行法、また、インドのクンダリニー・ヨーガと同源と思われる身体技法、とくに臍のあたりにトゥンモと呼ばれる熱をつくる行法、土着性の強いチューの源流などが含まれている。

ここはヨギとして普通にメモしたほか、「チュー?」というものが、かわいらしくて気になります。

<291ページ ミラレパの詩3 知恵の詩 より>
 ミラレパの教えを組織化してカギュ派の基礎を築いたのは、弟子のガンボパであると言われている。ミラレパ自身は組織化されることを嫌っていたとはいえ、ぼくたちがミラレパについて知ることができるのは、おそらくガンボパの功績によるところが大きい。
 次の詩は、彼に向けて歌われたもの。ガンボパはもともと薬草を扱う医者だったので、ここでは"薬師"と呼ばれている。

(以下、その詩)


 よき薬師よ
 究極の知恵とは
 しっかり、決意をもって
 自分自身の心を見つめること
 心の外に知恵を捜し求めるは
 盲の化け物がむなしく黄金を求めるようなもの


 よき薬師よ
 究極の修行とは
 散漫さや眠気を過ちと考えないこと
 それらを追い払おうとするは
 明るい日中に燈を灯すようなもの


 よき薬師よ
 究極の行いとは
 取る捨てるをやめること
 取るや捨てるは
 網に捕らわれた蜂のようなもの


 よき薬師よ
 究極の戒律とは
 知恵のうちにゆったりとくつろぐこと
 心の外に無用な戒律を求めるは
 ダムの水門を上げるようなもの


 よき薬師よ
 究極の成就とは
 自分自身の心を確信すること
 ありもしない成就をよそに捜し求めるは
 亀が空に跳ぼうとするようなもの


 よき薬師よ
 究極の師とはわが心
 師をよそに捜し求めるは
 自分自身の心を追い払おうとするようなもの
 よき薬師よ、ようするに
 すべての現象は心のほかにないと知ることだ(第41章)

 心の外に知恵を捜し求めるは 盲の化け物がむなしく黄金を求めるようなもの
 散漫さや眠気を過ちと考えないこと それらを追い払おうとするは 明るい日中に燈を灯すようなもの
 
いっけん「ひたすらDo Do Do」ととらえられがちな仏陀やヨガの教えの表層を越えたことが、ギュッと詰まった詩。とてもやさしくて、とても美しい、魅力的な詩です。


こういう、いわゆるいま普及版の単語として使われる「スピリチュアル」なテンションに偏らず、世界が抱えている問題を事実として伝えながら、土着をもったいにしえの教えに学び、そして旅行記として魅力的。こういう素敵な本が、もっとたくさんの人に読まれたらいいな、と思います。美しい写真も素敵ですよ。

ミラレパの足跡―チベットの聖なる谷へ
伊藤 健司
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