うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

チベット仏教の真実 ―「五体投地」四百万回満行の軌跡 野口法蔵 著

カレー屋さんでその存在を知った野口法蔵さんの本、3冊目です。過去に同著者さんの「人間の頂 『生きる』意味を求めて」「これでいいのだ」の2冊を紹介しました。
これは昨年2009年の7月に出版されたもので、新しいです。今となっては入手困難というか古本で値上がりしている「人間の頂」にその後の日本巡礼の模様を足したような構成です。タイ、インド、チベットの旅行修行期の部分は「人間の頂」よりも少し旅行要素が減り、文章が修行よりにまとめられています。同じエピソードでも、微妙に違うことがかかれていたりしますが、あの鮮烈さを同様に感じることができます。
わくわくしますね。でも、今回も胸はしめつけられます。


では紹介行きます。

<16ページ タイ僧との出会い より>
ベランダに寝転がっていると、日本の農家に一年いたという青年がやってきた。
その青年を通して、老人に昨夜の僧の説法を問うてみた。出家への訓戒の他、おもしろい話があった。それは結婚までの貞操の重要性、結婚してから夫への仕え方というものだった。そのあかで、もしも体の具合が悪くて、夫の求めに応じられないときには、それに代わる何かの方法で夫に尽くさねばならないというのである。意外な話だった。僧侶がこのようなことにも説法するという。そのせいか、タイの離婚率はきわめて低い。ここでは女は誰しも唄が歌え、舞を舞える。

すごいよなぁ。後に、「出家休暇」の話も出てきます。タイ。

<18ページ インドへ ── カルカッタのセルジュードル より>
 セルジュードル・カースト
 これが、インド独立の父マハトマ・ガンジーが「ハリジャン(神の子)」と呼んだ、不可触民のインドでの公式の名称である。インド人口の大部分を占めるカーストであり、インドを訪れる外国人が最初に引っかかる問題でもある。

「セルジュードル・カースト」という単語を、メモ。

<22ページ インドへ ── カルカッタのセルジュードル より>
 ヒンドゥー教では、布施は回りまわって、自分の困ったときに戻ってくると言われる。
イスラム教ではすべてがアッラーの意であり、金はアッラーに捧げられ、受け取る側もアッラーからである。したがって、両者がアッラーに感謝するという具合だ。それゆえに、双方ともそれによる代償行為を求めない。「喜捨」なのだ。喜んで捨てるのである。外国人はありがとうとか、何かの感謝の見返りがないと、布施できないらしい。信念のある人間は相手の出方など気にしないものである。
(中略)
 そして、もう一つ。触るのにも汚らわしいという意味の、アチュートと名づけられた人々だが、もらった金を実入りの少ない乞食にそっと分けるなど、意外な精神文化の高さがある。精神文化といっても、なんら教養の高さを意味するものではない。生活していくことへの幸福感とでも言おうか。物のない、物を持たずにいられる幸福感とでも言おうか。それによる恐れのない心、そして、宗教による精神の安定ということに気づかされた。彼らは生まれながらに、この宗教という思想に囲まれている。私たち日本人は生まれてはきたが、何に囲まれて育ってきただろうか。

シェアする。分かち合うこと」です。「生活していくことへの幸福感」という書き方がよいなぁと思いました。

<31ページ ベンガリー情話 より>
(娼婦宿にて)
私は外で"女"と言った。しかしそれは違っていた。年のころは十歳くらいから十七、十八歳。十四、五歳がもっとも多く、二十代はもういないように思えた。
(中略)
 私のすぐ横にいた男が動いた。男は、端にある茶屋に腰をかけている男に女を指して見せ、金を払った。そして、皆の視線を集めながら、十字の空間を暗闇に消えていった。もう一人見送って、私も暗がりに身を投じる。少女の背を見つめ、ついて進む。土壁の迷路を右、左、右と曲がりつき、突き当たりのむしろをまくってなかに這い入った。二メートル四方の部屋の半分がベッドになっていた。その下には雑多なものが押し込まれている。もう半分の隅には、米粒とカレーがくっついたままの食器が置かれ。水の入った洗面器がある。その洗面器は底がすすけていた。誰かが詩っていたのを思い出した。

 飯を炊くのも洗面器
 食器を洗うも洗面器
 小便するも洗面器
 小便がはね返ってチョボリ、チョボリ

 東南アジアの詩である。
 ベッドは壁に戸板を打ち込んだものだった。少女は笑いながら服を脱ぐ。唾を手の平に吐き、性器にねたくる。私はあまりにも悲しくなって涙が出てきた。カルカッタのあの娼婦は、ここに十三歳のときから四年いたという。あの夜、あの女は「ダッカのように辛くはないし」と言っていた。そのところであるここの子供たちは、毎日客をとりながら、自分で飯を炊いて暮らしている。

少女は笑いながら服を脱ぐ。 以降のところ、「あまりにも悲しくなって涙が出る」状況も、凸凹の凹みで、変わりにどっかが出てバランスしてるでしょ、と同じインド人のヴィヴェーカーナンダさんが言っている。でもやっぱり、このような記述は読んでいると息が浅くなる。

<42ページ 聖地ヴァラナシィ より>
 目が覚めたのは、暗いうちであった。(火葬の)残り火だけが赤黒くほこっており、煙が帯を引いていた。焼場の男たちもまだ眠っている。私は自分一人が目を覚ましたことに快感を持った。このまま再び寝につくのはもったいない。犬のようにあっちこっちを物色して歩いた。
川面に何かの塊が打ち寄せられては引いていた。近づくとそれは一体のむくろだった。焦げて一つの塊になっている。これはいいチャンスだと思った。辺りを見渡すと誰もいない。このむくろをアルコールの替わりにして、瞑想することに決めた。
 むくろをつかんで、川面から岸にずり上げた。まだ温かい。その前に坐する。目を閉じて、昨日の朝、昼、晩と、順にあったことに思いを馳せる。人むくろを奪い合う犬、生身の人を喰らおうとする犬、人の焼け様。と、一つのことが頭に浮かんできた。
  ── 人とは、肉ではないか。
 人は万物の霊長といわれ、神が創り賜うたものという。そして、人は、人を人と言って特別なものとするが、犬と牛とカラスとどこが違うのか。
 私は目を開けて前のむくろを見た。突然、唾が湧いてきた。乞食に喰らいついた犬のように、そのとき、私にはそれが肉の塊と見えた。私は手を伸ばして、肉塊からほんのわずかな肉をつまみ、口に運んでいった。まったく無意識であった。
(中略)
 かつては、気持ちがいっぱいに詰め込まれていたにしても、人は、牛や豚、山羊や鶏と、同じ肉であった。骨が無であり、肉は肉であった。

「かつては、気持ちがいっぱいに詰め込まれていた」という表現が、妙にしっくりくる。

<60ページ ヒマラヤの尊者 より>
(トントントトトンというのは、リンボチェ<チベットで、「僧」のこと>と話すときに、こちらが言い終わったことを示す「どうぞ」みたいな合図。太鼓)
「あなたは、四回目の修行ですが、一度宿った仏も永遠ではないのですか?」トントントトトン。
「人の心とは弱いものだ。いつしか、仏も小さいものとなってしまう。それに気づいたとき、私はこの修行に入る。苦しみをつくり、それを仏へと変える」

小さな身体でも、大きな仏を。自分サイズを超えていかなくちゃ。

<63ページ 写真よ、さようなら より>
 物は、その便利さとともに、精神に負担する。盗まれはしないか、失くなりはしないか、壊れはしないか。物があるというだけで庇うのは極自然なのである。
(中略)
物のありがたみを感じるのは易いが、物の束縛性を体で感じることは難しい。体が軽くなった、と同時に心が軽くなった。

「物の束縛性」、あるねぇ。旅人が魅力的に見えるのは、そこの透明感なんだろうな。

<77ページ 仏界への旅 ラダック より>
下の尼僧舎に一匹の犬がいる。この犬は生まれてこのあた、肉も魚も食ったことがない。僧と同じ麦団子だけで生きている。犬というのは飼い主の人間に似る。日本の犬は、人さえ見れば尾を振って寄ってくる。タイの犬は尾を振りながら、人の手前二メートルほどで様子を窺う。インドの奴は、はすに構え、けげんな顔でじっと見つめてくる。ヴァラナシィのは、獣の妖気を発しながら、上目使いに赤い目を向ける。だが、この尼寺の犬には畜生のそれはない。温和な目をしている。さしずめ悟った犬とでも言おうか。肉食させないと、畜生でさえ体質が変わってくる。草食動物の考え方になる。

20代の頃にインドへ行ったとき、ホームステイ先の犬がベジタリアンで、まるで肉に反応するようにカリフラワーを欲しがる様子にびっくりしました。こう、性格もまったく媚びるところがなくて、かといって呼べば「認識してますよ。ええ」くらいの反応はしてくれる犬でした。なんだか彼といると、こっちが犬みたいな気分でした。

<79ページ 仏界への旅 ラダック より>
 この地の人の生活は、すべてツァンバで営まれる。ツァンバは大麦の麦焦がしであるが、ラダックではナンペ(仏粉)といわれる。(中略)この寺の僧は、およそ十歳でここに預けられ、その生涯の七十年余りを、茶とバターと麦焦がしで暮らす。バターからタンパク質とカルシウム、茶からビタミン、麦焦がしから炭水化物、と体には一応足り、精神には三昧という最大の栄養を取る。平均寿命は八十歳くらい。そこまで生きると、死期がわかるという。
(中略)
火葬は寺の後方の山間で、護摩を焚くように行われた。私はかつてこんなに早く燃える死体を見たことがない。薪も少ないのに、あっという間に燃える。人の肉体自体が燃焼しているようだ。

入れたものが、血となり肉となるので当たり前なのだけど、実話を読むとリアル。

<91ページ 出家 より>
目が悪いとその聴力が増すように、言葉を使わないようにすると、人の相がわかるようになるのではないか。チベットでは、人の相を「カンサ」といって重要視する。人の精神状態は、その人間の体内から、その人の相となって顔に発せられる。(中略)悪い顔というのは、他人をも不幸にする。

うちこは、あまり星占いとかは見ないのだけど、「手相」や「人相」のように、生が積まれたようなものは興味があります。めざせグッド人相。だなぁ。

<105ページ 下界に降りる より>
 タイの仏教を崩れているという人がある。それは逆である。今、タイは物質文明と闘っている。その物質文明とは、わが国日本の物である。タイでは、僧侶は市内バスが無料、鉄道、飛行機は、国際線もすべて半額。僧への供物、托鉢の食事は毎日。僧院の建設、仏具の製作などは、すべて国家と人々が負担する。妻帯者が期間を決めて出家するときは、会社は首にもできないし、その間の家族の保障をしなければならない。女性の産休にたいして、出家休みというのもある。そのような出家者も含めると、タイ人口の一割近くにもなる。もし仏教がなかったら、国民総生産は十パーセントは上がり、東南アジアきっての国になっていただろう。

専門サイトの「3.労働条件 休日・休暇」の項目に、しっかり「出家休暇は法律上特に規定はないが、雇用期間中1回最高90日が認められる。」って書いてある。タイのイメージがいっきに変わった。

<114ページ 下界に降りる より>
日本人は、感覚とか感性とかに左右され感情的になりやすい。人は怒り、悲しみ、嘆き、笑う。感性をいかに操るか、喜楽ばかりを求め楽しんで、エヘラエヘラと笑っていては、何も見えはしないということだ。それと、物質的とともに、欲も制さなければならないということだ。
 三千年前のリグヴェーダのなかに「渡世の歌」と名づけられた一編の詩がある。

一 われらが意向(こころ)はおのがじし、世すぎの道はまちまちに、「家が」こわれて木匠は喜び、「骨が」折るれば薬師が喜ぶ。バラモン詩人の待つものは、ソーマ祭りの頼み人。── インドゥ(ソーマ)よ、インドラのために渦まき流れよ。
(以下略)
(『リグ・ヴェーダ賛歌』 岩波文庫

 三千年の昔より、人は、自分の欲が苦しみの種となることに気づいていた。

集団意識で感情的になるほどまでに制することを忘れて、節度とか品格の話をする。不思議。一切のプッシュ型メディアを封じる断食的な1週間を一律で設けたら、日本人はどんな動きをするだろう。

<118ページ 再び仏界へ より>
人の雰囲気は、その毛穴より発散し、精神状態は顔に表らわれる。熱弁しようと、それが匂ってこなければ、それはその場かぎりとなる。私がこのようなものを書く気になったのは、日本という国と、人とを見たからであり、私の旅のこととともに、私の目に映ったものを報告するためである。

ここから、旅行記ではなく修行記の様相が強くなってきます。

<153ページ ジャイナ教の聖者 より>
インド南端のトリバンドラムより中央インドのジャンシで乗り換え、あの聖地ヴァラナシに着く。この町には無数の道場があり、今回は僧衣をまとっての訪問なので、容易に情報が入ってくる。そのなかで神通力まである、マハグル(大先生)という仰々しいお方を訪ねた。一段と高いコンクリートのステージに、敷物をしてポーズを取っている。信者は何千人いるとか何万人いるとか。そして、手の平から自在に匂いを出すとか。リクエストにバラの花の匂いを出してもらう。部屋中がバラの香りに包まれると、どうだと言わんばかりだ。さりとて、悟っている風でもない。私はこの奇術師に金を出し、一礼して去る。

野口さんもこういう場面に出くわされていたのかぁ、というメモ。

<157ページ ジャイナ教の聖者 より>
 ジャイナ教には二つの宗派がある。一つはスタカンバラ(白衣派)、もう一つはディガンバラ(空衣派)である。(中略)古派であるディガンバラの僧の生活は非常に厳しい。私がここで訪問したのはディガンバラ派である。一日の食事は朝食のみ。肉、魚、卵なし。どこへ行くにもいかなる乗り物をも使ってはならず、素足。めったに口を利いてはならず、蟻一匹とて打ってはならない。呼吸も自由にできず、飛んでいる蚊に吐く息をかけてもならない。一切の衣類を身につけてはならず、一切の毛を生やしてもならない。

「呼吸も自由にできず」ってのがすごい。

<184ページ タイの僧院にて より>
 二ヶ月以上が過ぎ、この寺を退くときがきた。退寺の礼をしたいが、老師がいない。近くの家の取り壊しを手伝いに行ったとのことである。下衣をまくりあげ、ふんどしのようにして高さ三メートルもある家の梁の上を走り回っていた。梁の上から、七十歳近い老師がバイバイと手を振る。この少し滑稽であるが、戒律に厳しい老師の黄色い僧衣が、あのブッダの黄金に思えたのである。

この老師さんのエピソードは面白かったです。なんだか、絵が浮かぶようで。(どうしても、亀仙人的な……)

<206ページ 徒歩の巡礼 より>
インド式の托鉢は金を受けない。何十軒かの家を回って断られるのは一軒だけであった。地方によって托鉢の反応が異なる。東京では玄関でこう言われた、「お母さん、変な人がきているよ」。後に行った関西では、「お母ちゃん、坊さんが来ているで、何か上げなあかんのとちゃう」。なんの差であろうか。歴史か習慣か信仰心か。越前では、民家の玄関に立ち、なかから出てきた人と私が目を合わすと、何も言わないうちに奥へ下がってしまう。しばらくして、漬物とラップに包んだ握り飯を持って出てくる。なかには生米や生野菜を持ってきてくれる人もいる。ときに、小銭をくれたり、お経を上げろという人もいるが、全般にこういうことに馴れており、きわめて質がいいようである。

うちこは、これを友達の出身地で感じます。うちこはOLですが、休日のアクティビティは一般のOLさんよりもちょっぴり信心深くみえがち。そんな「週末何してた?」の話をするとき、本人はハワイにグァムにカンクンに台湾に、というリゾート観光OLでも、奈良出身のりつこと、関西に実家があるしげこは、他の友達よりも自然なこととして聞いている度が高い。地域性って、あるねぇほんとに。

<222ページ 徒歩の巡礼 より>
 琵琶湖沿いに南下し三井寺随心院へ寄り、黄檗山万福寺に到着。この寺は中国の禅寺として創建され、河口慧海が所属した寺でもある。慧海老師というのは、チベット玄奘三蔵のように一人で徘徊した、近代のチベット探求の第一人者である。(中略)中国式なのだが、上海の玉仏寺にいたときよりも感動的であり、とくに鳴り物には、背筋を震わされるものがあった。
 そして、何より、飲み物について話さなくてはならない。(中略)夕には、老師に呼ばれ庵で茶を入れてもらった。急須に半分以上も茶葉を入れ、葉と同じくらいだけ湯を入れる。そして少量だけしか出ないのだが、それは口にした瞬間、後頭部にきた、坐禅の眠気止めであるという。

黄檗山万福寺、行ってみたい・・・。

<246ページ 仙人の詩 より>
「あなたの詩集は、世に出さないのですか?」
「私が死んだら、世に出るかもしれません」
「あまり語らないのは、もったいないですね」
「ご存じでしょうか。人と喋ると、その分一人のときに戻ってきます。語らないのは自分のためです」
 まさにそのとおりであった。無言少言の行は、自己を見つめる手段の第一歩であった。

信州での山里暮らしで出会った詩人さんとの会話です。
「人と喋ると、その分一人のときに戻ってきます」というのが、うちこも根本的にはあまりお喋りが得意ではないので(仕事ではしゃべれる人のようにやってしてますが。それも仕事なので……)、心に響きました。


野口法蔵さんの本は、どれも当たりだなぁ。すばらしい。

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