うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

天風先生座談 宇野千代 著

先日感想を書いた、宇野千代さんの「行動することが生きることである」をきっかけに、さっそく図書館で借りて読みました。
この本のたてつけを、先に書いておこうと思います。この本は「天風先生座談」という章がほとんどを占め、巻末に「天風先生と私」というあとがきのような章で、宇野千代さんと天風先生の出会い、自分の人生に与えた影響などが書かれています。
この日記をわりとコンスタントに読んでいる人は、わたしが中村天風さんの本を何冊か紹介していることをご存知かと思いますが、現代での一般的な知名度から考えると、宇野千代さんをきっかけに天風先生を知る、という流れのほうが多数派かもしれません。
わたしは「ヨーガに生きる―中村天風とカリアッパ師の歩み」という本をきっかけに、続けて天風先生の本を読み始めました。なので、カリアッパ師(インドのヨギ)の教え自体が非常にすばらしいものであり、そのキャラクターもめっちゃグルだわ、スワミだわ。という予備知識がある状態でこの本を読むと、これがまた面白い。「ヨーガに生きる」は天風先生のお弟子さんによって出版されたものですが、この「天風先生座談」は天風会での講義のレポート。口述を宇野千代さんが起こしました、といった仕立てになっています。
それに、サブリミナル的な頻度で、カッコ書きで宇野千代さんのト書きのような情景レポートが入ります。

順番的には、先に「天風先生と私」の章に書かれていたことを、箇条書きにするのがよい流れかと思いますので、ちょっと情報をピックアップします。
 宇野さんは、昭和56年から4年間、「天風会」などで天風先生の薫陶を受けていた。
 知ったように書きましたが「薫陶(くんとう)」とは、「人柄や人格、人徳、人品で人を感化させ、良い方向に導くこと。」という意味だそうです。こんな日本語があるのですね。
 宇野さんは「おはん」を書いたと、18年間、ぴたりと「書けない」時期に陥っていたときに、天風先生の教えに会った。
 「書けないと思ったから書けないのか。書けると信念すればかけるようになるのか」という思いと一緒に、また書けるようになった。
 宇野さんは、巻末にこのように書いています

この魔法は、凡ゆることに応用出来る。天風先生は私に、この魔法の根源を教えて下さった。私は突然、眼が開いたような気持ちになった。

ここから、本編「天風先生座談」のなかにあった、心にメモしたかった箇所をいくつか紹介します。宇野千代さんの「ト書きのような情景レポート」部分は紫色の文字にしておきます。

<10ページより>
(前略)金の力を持ってしさえすれば、健康なんていうものは簡単に自分のものになし得るものであるかのごとく、軽率な考え方をしている仕合せ者が、世間には多いのであります。お仲間の中にもおられやしませんか。(中略)
 もしもそれが間違いのないことだとしたら、金持は病い(先生は病気のことを決して病気とは言わない。病いという。病気というのは、あれこれと気を病んで、気持ちで病気を作る人の状態をいうのである。)になってもすぐに治っちまって、貧乏人は病いになればやたらと直ぐに死んじまいそうなものですが、皮肉なるかな現実は、その日その日食うや食わずの、医学的に見たら、栄養失調もいいとこの生活をしているニコヨンの仲間に、非常な健康者が多いのであります。(ちなみにニコヨンとは、辞書によると日雇い労働者のことだそうです)

これは、紫色の宇野さんのレポートが心のメモ。

<33ページより>
われわれの青年時代の頭の中には、このプランク博士が新しい発見をするまでは、宇宙エネルギーの一番の根本主体は、エーテルという言葉で教わった。あなた方も知っているだろう。エーテルとは何かというと、説明できない。とにかくエーテルじゃ。そのエーテルに対して、ドイツのプランク博士は、常数hという科学名をつけたのです。hというのはドイツ語で言うと、プランク、コンスタント、ヒドロゲニウム、となる。英語で言うとわかるかも知れない。プランク、コンスタンティック、ハイドロジェニウム。なに、両方ともわからない。じゃ、日本語で言いましょう。永久にこの世から、何物が姿を消す場合があろうとも、このものだけは姿を消さない水素ガス。
 神や仏と口では言っても、見えない筈ですよ。水素ガス体だ。その水素ガス体を、神や仏と言ってたわけです。考えてみると昔の人間は、無邪気なような、馬鹿のような、阿呆のような、間抜けのようなところがあったわけですね。煙のような、煙ならまだ見えらァ。水素ガス体じゃァ見えないもの。これがありとあらゆるすべての、不可思議の根本主体なのであります。

天風先生はコロンビア大学で医学を学んでいたので、こういう話のされかたをしていたようです。エーテルの説明が、心のメモ。

<113ページより>
 真理というものは事情に同情してくれず、また弁護もしてくれない。「お前の場合は別だから、まァいいわ、心配しろ。しようがないわな。そのかわり、体に障らないようにしておけ。」なんて言ってはくれない。事情はどうであろうとも、われわれの思い方考え方がすこしでも積極的である場合は、直ちに、われわれの生きる肉体生命のうえに、驚くべき、よくない変化が現れて来る。これをたいていの人は知りませんよ。
(中略)
 これをご存じないでしょう。知らないから、平気で怒ったり、泣いたり、恐れたり、憎んだり恨んだりしているんだよ。怒ると血液は直ちに黒褐色になって味いが渋くなる。どうです。悲しむと茶褐色になって味いが苦くなる。恐怖の念が心に生じると、血液はたちまち丹青色になって、味いは酢っぱくなる。色と味の違った血液と淋巴はどうなる。血液の持っている大事な役目が、完全に遂行されない状態になる。

同情を乞うたり、ダメージのアピールで動かせるものは、しょせん虚構ということですね。

<123ページ>
「お前はね、誰に頼まれていったい、自分の毎日を、そんなにうす暗く生きているんだい。」

天風先生インド修行時代の、カリアッパ師の言葉。

<131ページ>
「なァ、お前、人間同士なら、使いを頼んで満足にしてくれなかったら、場合によっては免職にもするだろうし、命もとるだろう。しかし、造物主には慈悲がある。健康なり、運命なりの上に、お前の生き方は間違っているぞ、ということを警告するために、病いだとか、不運だとかいうものが出て来るんだ。お前がこの世に生かされて、この後、生命の寿命の来るときまで、本性に立ち返って、エレベーションに順応するという気持ちの出るまで、お前に悟らせようという慈悲の心で、お前を病いにかけた。どうだ、お前、幸福だろ。」
 そのとき私はね。いま話していても涙が出るくらい、声を出して泣きましたよ。(天風先生は突然、ここで涙声になる。このときに限らず、先生はしばしば、感きわまって泣く、というふうがある。)ああ、そうか。知らなかった。俺はいままで、病いにかかったことを、朝晩、ただ逆恨みに恨んでいた。神も仏もあるものかい、とね。

同じくインド時代のエピソード。カリアッパ師の言葉がイイ。

<223ページ>
人間には、辛がったり苦しがったりするほうの自分と、喜びと感謝で生きられるほうの自分とがあります。心の中の、もう一人の自分を探し出して、たったいまから、どんな人生に生きようとも、矢でも鉄砲でも来い、私の心は汚されないぞ。私の心の中は、永久に、喜びと感謝で一ぱいなのだ、という気持ちで生きてゆかれれば、その結果、どうなるか。
事実がきっと、あなた方に大きな幸福という訪れでもって、お応えすると思います。

行動することが生きることである」の冒頭の引用とまったく一緒です。宇野さんは、先生の講話のこの言葉を、まんま自分の座右の銘のように思っていたようです。


不安ムードがやたらにあおられる昨今、天風先生ブームが来るような気がします。だからってみんなヨガを始めたりはしないのでしょうけど、天風先生はヨギですよ! というのを最後に念押ししておきます。

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★おまけ:宇野千代さんについては過去に読んだ本の「本棚リンク集」を作っておきました。いまのあなたにグッとくる一冊を見つけてください。