うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

幸福を知る才能 宇野千代 著

宇野千代さんの本はエッセイから始まってこれまでにたくさん自己啓発書を読むような感覚で読んできたのだけど、「おはん」「色ざんげ」の二冊を読んでからはガラリと見かたが変わりました。この人はまぎれもなく天才小説家。エッセイや生きかたは壮絶すぎる外伝でしかないのだということがわかり、おそろしくなりました。


なにがおそろしいって、心の軸足が半分男性。むしろ心のデフォルトは男性なんじゃないかと思わずにいられないくらいの超客観軸を持っていて、小説のときにだけそれを存分に出している。エッセイの文章は割り切っているかのように雑で、それがまたおもしろい。宇野千代さんがおそろしいのは、日常は乙女のコスプレをしているとしか思えないところ。いまはそんなふうに見ています。

宇野千代さんの生家で展示を見たときに、谷崎潤一郎が「おはん」を高く評価しているのを知りなるほどと思ったのですが、女性作家が男性の身勝手さを男性軸で語る「おはん」と、男性作家が女性の身勝手さを女性軸で語る「」は立場の反転度合いがよく似ています。
そんなことを感じていたので宇野千代さんが谷崎潤一郎全集を読みながら「この作家は自分の能力を信じる力が強い」と評している記述があるのを見てニヤニヤしてしまいました。


それはさておき、宇野千代さんはヨーギーです。天風会の教えがこんなふうに語られます。

私の属している天風会では、原始の人間は果食動物であった、と説いている。木に上がって、木の実をとって食べていた、と説いている。その証拠に、人間の歯は他の肉食動物とは全く違って、肉をひきさいて食う歯は犬歯が前に二本あるだけ、他の大部分はよく噛んで擂りつぶすための臼歯ばかりである。食べ物によって腸の長さも違うと言うことであるが、人間の腸は牛だの馬だののような草食動物に似ていて、とても長いとのことである。
(確信を持つこと唯一つ より)

これと同じ推論は、以下の本にもありました。

宇野千代さんはいまでいうとフレキシタリアンになるのかな。菜食中心だけどこだわりすぎずに粗食を楽しんでいる。なんて進んだ考えかたをされていたのだろうと、エッセイを読むたびに思います。

 

ヨガの教えも宇野千代節に乗ると、べらぼうにおもしろくなるんですよね…。
以下の部分は、まるで自分の中にスワミ・ヴィヴェーカーナンダを住まわせているかのような自問自答です。

 そうであった。その頃の私は、女を見るとその女が娼婦であるか娼婦でないか、この二つの型に当てはめることばかりを考えていた。女が娼婦であることはうとましい。にも拘らず、私はそうである女が羨ましかった。娼婦には決してなれない型であると思われている自分もまた、同じようにうとましく思われるのは何故か。娼婦になれる型の女を羨ましがっているからである。
(未練 より)

なんだこれ。見覚えある感じだぞ…、と思っていたら、スワミ・ヴィヴェーカーナンダの以下の説法と似ている。

私は街頭をウロつく夜の女を冷笑しなければならない。なぜなら社会がそうしろと要求するからだ! 彼女は私の救い主、彼女が街頭をウロつくのは他の婦人の純潔の原因である。それを思え。男も女も、あなたの心の中で、この問題を思え。それは一つの真理だ ── 露骨な、率直な真理だ!
スワミ・ヴィヴェーカーナンダ「生きる秘訣(第二部 / 悟りの道)」より)

宇野千代さんは4回結婚しているけれど、結婚が4回なだけで恋はその何倍も数をこなされているはずなんですね。で、その時に考えているいろんなことが形を変えて出てくる。たまに、モーレツに深い回想があります。
恋愛前後の感覚も、これはなんかわかるなぁという、ものすごい表現があります。

 彼との生活は、私には思いもかけないことばかりでした。そのために私は、世間の噂とは反対に、尾崎との別離の哀しみも、忘れ果てて了ったほどでした。不謹慎な言い方ですが、それは、読みかけた小説の続きを早く読みたいと思ってでもいるような気持ちでした。
(私の或る結婚 より)

「読みかけた小説の続きを早く読みたい」という感覚で別れるって、すごくわかる…。次にもう読みたい本があったとは書いてなかったけれど。

 


もうひとつ、宇野千代さんのヨーギーっぷりを紹介したい。させてください。
すごいんですよ。「失恋体操」って、ご存知?

 声を限りに泣いていると、その声の中に、からっとした感情が湧いて来る。まァ、言って見ると「失恋の客観性」と言うものなのですね。「可哀そうに、あなたは失恋して泣いてるのね」と自分で自分に言って見るのです。
 この自分で自分に言って見る、と言うことが大切です。失恋に限らず、何事にでも失敗したとき、つまり失意のときですね、自分で自分にはっきりと、失意の内容を言って見るのです。「可哀そうに、あなたはお金をおっことして、それで泣いているのね」と言う風に。

同じトピックの中でここでいったん切りますけれども、セルフ・リアライゼーションの一環ですねこれ。
そしてしばらくあとに、こうきます。

 では私は、この失恋の切なさを他人にも語らず、じっと胸の中に秘めて我慢していたか、と言うとそれが大間違いなんです。私の失恋はこの点、いつでも、とても派手なんです。もっとも端的に、大ゲサに、最大限に表現すると言うことです。人には訴えないけれども、自分ひとりきりで、誰も見ていないところで、それはそれは眼もあてられないほど、わァわァ騒いで泣くのです。
 そこにはいない相手を掻き口説きながら、蒲団にしがみついて一晩中、芋虫みたいに転げ廻ったり、蝉みたいに柱につかまっておいおい泣いたり、人通りのない暗い裏道を、恋人の名を呼びながら駆け歩いたり、それはそれは大騒ぎをするのです。つまり、自分ひとりきりでできる失恋体操を、全部ひとりでやるのです。
(失恋は人生の曲がり角 より)

芋虫アーサナ、蝉アーサナまではわかる。が、そのあとのは今だったら通報される。他人を巻き込まずにひとりで身体を動かす対応に Yogic Way を感じずにいられない説法です。

 

そしてそして、冒頭にも書きましたが宇野千代さんの女性観はどこか、主観でありながら客観的です。

私の "離婚十戒"(この題は、ひょっとしたら、「結婚生活十戒」」と言った方が好いのかも知れません。)という章の、「禁制第三条 家庭の中を警察署にすること勿れ。」の出だしが最高です。

 どう言う訳か分かりませんが、男に比べると、女の人の方が、道徳家らしい顔をするのが好きですね。実際にも、女にはそれほど悪いことをする人が少ないのでしょうか。

男性を詰めるなということを書いておられるのですが、これはあの時代に自ら仕事を開拓していった女性ならではの視点かもしれません。宇野千代さんは、誰だって精神状態がよくないときに刃物を持っていたらなにをするかわからないという考えかたをされる人で、わたしはそこをとても信頼するのですが(この本の「それは刃物が導いた」で書かれています)、「道徳家らしい顔をするのが好き」でいられるのも結婚をして男性に守ってもらっているからじゃないかと、そういう指摘をやんわりとしているように思えてなりません。

 


そして、開き直れていない女性の解析もすごい。すごいのです…。

(私はお化粧なんかしない! 私は誰にも見て貰わなくても好い! 私はもともとこんな風な色黒娘なんだから)これは若い娘にとって、一番危なっかしい心の状態です。きっとこんなときに、若い娘は鉄道へ飛び込んだり、それから万引きをしたり、放火したり、それから、──さまざまの悪いことの芽を心の中に植えつけるに違いないからです。
(お化粧をしなくなった娘は危険です より)

宇野千代さんはネガティブでいじけているときの心理を自分ひとりでとことん観察しているので、斬りかたがすごい。失恋体操というメソッドを生み出すくらいの人なのでね…。

 

と、ここまで宇野千代さんのどこまでも強く賢くチャーミングな部分を前面に紹介してきましたが、この人の強さは圧倒的な太陽のような明るさではなく、樹齢1000年のガジュマルのような強さ。そりゃ、こんな人が中村天風さんに習えば最強にもなる。

世間には、小説を書いたりする文士と言うものは、不仕合わせであったり、病弱であったりする方が、何ごともなくて体が丈夫である人間よりも、傑作が書ける、と思い込んでいる人がいるが、私はそうは思わない。
(野仏と仙人 より)

宇野千代さんはまだ幼い頃(歩けるようになったくらいの頃)に実母が亡くなり、その一年後に第二の母がやってきて、第二の母は17歳だったそうです(いま流に数えると母は15歳とあ りました)。そして当時父は45歳。
そんなまだお姉さんのような母は、夫の要求に対しもう無理だ堪えられないと言って千代さんを置いて出て行こうとしたのだけど、千代さんがあまりになついていたために戻ったのだそうです(生涯のこの二人の関係がすばらしい)。

のちにこの家庭環境をこの父と母の性格をはっきりと見分けられるようになってから、この、子供のように稚なかった母の訴えが、どんなに切実なものであったか、よく分かった。
(「よよと泣かない」より)

と回想されています。
いまふうに言うと、宇野千代さんご自身がDVを受けながら義母のDVを想う超ド級アダルト・チルドレン。そりゃ「おはん」のような小説も男目線で書けてしまうわ…と、ほめていいのか悪いのかと思うほどの境遇をくぐり抜けています。そして義母もそうとう大変で、助け合っている。
他の小説家に対して「なんか、ぬるいこと言ってるなー」というような気持ちがあったのじゃないかな…。と、「おはん」を読んでから、そう思うようになりました。


宇野千代さんについはちょっとオタクになりすぎているわたしですが、これでもいろいろオブラートにくるんでいるのだろうなと推察して読むと、何度も読みたくなる要素がてんこ盛りです。

幸福を知る才能 (集英社文庫)

幸福を知る才能 (集英社文庫)

 

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