うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

行動することが生きることである 宇野千代 著

よく「老成している」と言われるわたしにしては意外かもしれませんが、宇野千代さんの本を読むのは初めてです。
知っていたことと言えば、若い頃めちゃくちゃ美人で、エリザベス・テーラーみたいに何度も結婚した人らしいとか、結婚式でもらう引き出物のカタログギフトの食器コーナーでよく見る名前だなぁ、とか、女性にすごく人気のある人だ、くらいのものでした。
読んでみてなるほど。「身体が美人で、心が健康」というのはこういうことだなと。後半の章は90歳を過ぎてから書かれた本ですが、「魅力的な女性であるわたくし」という大前提が、「長年のヨガで培った、全身に張り巡らされたコアを中心とした筋肉」のようなさりげない土台として存在しています。素敵です。徹夜の執筆はしないけど徹夜の麻雀はします、という80歳のときの記述あり。おそるべし。

そして後半には「どうりで言ってることの本質が似てると思ったんだよなぁ」という人とのつながりも。いつものように紹介しますよ。

<48ページ 希望を発見することの上手な人は生活の上手な人である より>
 人間には、辛がったり苦しがったりするほうの自分と、喜びと感謝で生きられるほうの自分とがあります。心の中の、もう一人の自分を探し出して、たったいまから、どんな人生に生きようとも、矢でも鉄砲でも来い、私の心は汚されないぞ。私の心の中は、永久に、喜びと感謝で一ぱいなのだ、という気持ちで生きてゆかれれば、その結果、どうなるか。
事実がきっと、あなた方に大きな幸福という訪れでもって、お応えすると思います。

なんかどっかで読んだフレーズに似ています。後の引用で書きます。

<126ページ 結婚生活には愛情の交通整理が必要である より>
 浮気をするということは決して好いことではない。
 しかし、悲しいことに私は浮気を一度もしないと断言する人には、相手の気持ちが分からない。こういうときにはこういう気持ちになる、ということが分からない。
 浮気という決して好いことではないことをして見て、初めて人の気持ちが分かる。ああいうときにはああいう気持ちになる、という恋愛のコースが分かる。曲がり角も分かるし、行きつくところも分かる。
 泣いたり騒いだりして、やっぱりこっちへ戻って来る帰り道まで分かって来る。嬉しいこともあるけれど、げっそりしてつまらないなァ、と思うこともあるということが分かって来る。その分かって来ることが、悲しいことに、自分も浮気をして見ないと分からないのだから、困ったものである。
 悪いことも出来る人が、人の気持ちがよく分かる。私は決して浮気しない。といばって言う人には、人の気持ちはわからない。

多くは語らないでおきますが、まったくおっしゃるとおりです。

<140ページ 自然な気持ちで生きることが健康の秘訣である より>
 私の健康法は、と訊かれると、いまは何と言って答えて好いか分からない。不養生なことを平気でして、あとは疲れが治るまで眠るのだ、と言ったら、誰でも呆れることであろう。私の生母は肺結核の病中に私を生み、じきに死んだ。したがって私は、弱い子供だと思われていたのに、それがそうではなかった。裸足で学校へ通った。一生の間、肩が凝るとか、頭が痛いとか、腰が冷えるとか言う自覚がなかった。叩いても死なない丈夫な体である。満八十歳のいまでも、徹夜の執筆ではない、徹夜の麻雀をする。翌日はぐうぐう眠る。

脳内麻薬、おそるべしですね。

<144ページ 訓練が体を積極化する より>
 私はこの頃、面白いことを始めた。それは両手を上げ、片足をチョンと上げて、片足だけで立っていることである。
(中略)
「訓練では先ず、極く初歩から」私はいつでも天風会で教えられているように、この片足で立つ訓練も、初めは懐中時計で計って、たった三十秒。それから一分、三分、五分と訓練を続けている中に、いまでは、十七分もあげっ放しで平気で立っていられるようになった。

はい、きましたよ「天風会」。

<152ページ 健康な肉体は健康な心がつくる より>
 私は天風会の勧告にしたがって、この便秘を退治して見る気になった。
(中略)
とにかく、これだけのことを毎日やっている間に、さしもの頑固な便秘症が嘘のように治って、毎日一回、色も形も展覧会に出品したくなるような理想的なものが、必ず排出されるようになった。

おもいっきり「天風会」。

<212ページ 心に張りがある人間はボケない より>
 私はいま、九十歳になって、愕然となったように考えたことは何であるか。それは自分がいま、九十歳になったと言うことである。
(中略)
そうだ。私は一刻の休みもなく、衣冠束帯でいることだ。何事も衣冠束帯。私はいま何を考えているか。何を食べているか、何をしているか、あの腰の紐をきゅっと締めて、背後の布をうんと膨らませて生活している、衣冠束帯である。意識また意識である。

宇野さんにとっては「きもの道」が、最終的にしっくりいく真理の表現媒体になったのですね。


そして最後に最初の引用を読み直すと、まんま「天風節」(笑)。土台がアツいから、上品な言葉で書かれてもやっぱりアツい。この人たち、サイコーだわ。と思いました。そもそもタイトル自体が「天風節」であることに、なぜ気づけなかったのだうちこ! orz
古本屋で見つけたら、迷わず買いましょう。2冊あったら、お友達の分も買っておきましょう。そんな本です。

★おまけ:宇野千代さんについては過去に読んだ本の「本棚リンク集」を作っておきました。いまのあなたにグッとくる一冊を見つけてください。