「西遊記」は日本語でも英語でもさんざん読んだし、ドラマのほうもこれまた日本語でも英語でも軽く台詞をかぶせていえるくらい見たし(3歳くらいのころからの累積でですよ。もちろん、マチャアキ版)、今度は「大唐西域記」を読もうかな、と思って読みました。(★追記:この本は2016年に再読しました)
ちょうど春に上野の国立博物館で「玄奘三蔵の肖像画」を見たので、この「歩く図書館坊主」の表紙に反応してしまいました。
これは、「西遊記」ができる前の、そもそも本来の三蔵法師ひとりの旅の話。写真入りで、モノクロですが、その過酷な道のりがものすごく伝わってきます。「陽炎が妖怪に見えた」というほどの状況が、あの物語を生んだのか、と。
このお話のことは、わたくし一晩でも語れてしまうくらいなので、さっさと本の紹介に移ります。
<36ページ 巻の第一 より>
いま沙河を通ることとなり、いろいろ奇怪な悪鬼が自分をめぐって前後するのに会った。そのとき観音を念じても、それらの悪鬼を去らせることはできなかったが、この経(般若心経)を読経して、声を発するとみな消えてしまった。危険なときに救われたのは、じつにこの経のおかげであった。
〔※注釈より:現行の般若心経は玄奘帰唐後のもの。ここでの般若心経はおそらく鳩摩羅什訳、一巻のことであろう〕
わたしも悪鬼に会ったら、念じる!(笑)
<202ページ 巻の第四 より>
それからまた法師は杖林山(ヤステイヴァナ)居士のジャヤセーナ(勝軍)論師の所におもむいた。ジャヤセーナはもとスラーシュトラ(蘇刺侘)国の人で、クシャトリヤの出である。幼児から学問を好み、まずブハドラルチ論師について『因明』を学び、また安慧菩薩によって『声明』や大小乗の論を学び、さらに戒賢法師に従って『瑜伽論』を学んだ。さらに仏典以外の四ヴェーダ、天文、地理、医学、数学に至るまで、それぞれ根本的に研究して末端まで窮めつくさぬものとてなかった。そこで学は内外の典籍に及び、徳は一世を風靡するに至った。
このジャヤセーナ師に、法師が「こんな夢のお告げを受けた」といって相談に行ったりするのですが、そのくだりがヨガナンダ&ユクテスワのような感じで、とても心温まる場面です。
<252ページ 巻の第五 より>
そのときの一行は、僧七人と雇人ら二十余人、象一頭、騾馬十頭、馬四疋であった。
これは、旅の最後のほう。一人旅から、最後はこんなです。そして、ものすごい経典の量。その後の翻訳活動も、偉業すぎです。
なかには、「この坊さんはなかなかハンサムではないか。こいつを殺して祭りにしよう」なんていうドラマさながらの場面も出てきます。ハンサムで、体格がよかったそうですよ。
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