うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

運動脳 アンデシュ・ハンセン著/御舩由美子 (翻訳)

著者は精神科医。運動の目的を気分転換ではなく “脆弱性が強化されないための防御策” として見てまとめられています。

ストレスというのは脳の仕組み上、完全にはなくならないもの。

だから受容する脳の側で「闘争か逃走か」の二択に暴走しないためのブレーキを踏めるように、グレーゾーンにいられる力を保つために、薬に頼らない方法として運動が有効だよ、という話。

「ジョギングは程よいストレスです。だから、走りましょう」と。

 

この論に対しては実感を持って同意の連続だったのですが、こういう本こそ、必要な人には届かないというか、「だよね、だよね」とうなずきたいわたしのような人が読む本で、この本に登場していた以下も、2008年に「だよね、だよね」と思いながら読み終えています。

 

 

久しぶりにこういう本を読んで、こういう説もたまに読むことで色々考えることができて良いものだな、と思いました。

自分自身に対してセルフ・ネグレクト的にならず前向きでいるために、たまに誰かの言葉を聞きたい。かつての自分よりも気力体力の面で年相応に変化は起こり、人生は続くから。

 

 

あれから15年後のわたしのジョギングの目的は、もっと切実

今年は6月からかなり暑く、ジョギングどころかウォーキングもほとんどできない夏でしたが、5月にジョギングをしていたわたしの状況は、けっこう切実でした。

5月中に合格しておかなければいけないスキルテストのためにジョギングをしていました。

仕事を失わないためにジョギングをするって、けっこう切実じゃないですか?

フルマラソンに出ていた30代の頃のジョギングとはちょっとワケが違います。そして概ねこの本に書かれている通り、わたしの場合は週に2回(本では3回が推奨されている)、50分ほど走っていました。この本では「45分以上」とありました。

 

以下は経験として、実感と重なります。

 簡単にいえば、運動やトレーニングをすると、脳が新しいものを学ぶための土台ができるということだ。歩きながら単語を暗記すると覚えられる単語が20%増えるという話は、決して無茶な理屈ではないことがわかってもらえただろうか。

(「新しい環境」だと脳の新細胞生存率がUP    より)

 

わたしの場合は、一つのテーマに軸を据えた話をまとめるときにジョギングをします。走りながら考えると、あってもなくてもよい程度ものを整理できます。

走りながら思考の整理をしたプロセスと記憶が、瞑想のときに湧き上がってくる「漠然とした不安へのエサとして脳が保存食のように記憶を保持しておきたがっているもの」と重なることがあります。

この再確認で、「ああ、またこれね。まだ保存してたか」と認識することができます。

 

記憶や印象は、急にドラスティックに捨てようとしても逆効果(捨て方に時間と努力が必要)なので、あらかじめジョギングでアウトラインを掴んでおくというのは、わたし個人の経験として有効と感じています。

 

 

閉経間近の体調になってからは、さらに別の切実さがある

いまのわたしは、骨盤周辺への負担を意識しながら四肢も鍛えつつ、日々を過ごすということをしています。

ヨガはほぼ毎日するのがデフォルトなのでそれはさておき、先に書いたように社会生活で社会的な頭を使わなければいけないことに対応するための運動として、今日はジョギングでいくか早歩きにするか、振り子にするダンベルを持った早歩きにするか、判断しにくい日があります。

 

この本は男性向けに書かれているので、生理のバイオリズムがいままさに大荒れ、という女性はいくつかバリエーションを持っておくとよくて、わたしは今はもう少し軽いダンベルか500gのリストバンドが欲しいな、と思っています。

 

この本には、セロトニンノルアドレナリンドーパミンのどれが減っているかを特定するのはむずかしいと書いてありますが、更年期のわたしの場合はわかりやすく「セロトニン」の減りを感じます。

その上で、以下は本当にその通りだなと思います。

 運動の場合、効果はたいてい運動を終えたときに感じられ、その状態は1時間から数時間続く。

(こうして「あなたの気分」が決まる より)

「大丈夫、まあ何度か落ちれば試験にも受かるだろう」という気持ちになれるのでね。

漠然とした不安を残さずに眠れるように、わたしは夕方にジョギングをしていました。

運動のあとに、世間や他人への漠然とした恨み節を話したい人と会わないように工夫するのもだいじで、運動をする予定を入れておくことでそれを回避できたりもします。

 

 

この本からの新たな情報

著者はスウェーデン精神科医で、この本が出る前に『スマホ脳』という本が出版され、日本でも売れたみたい。動画で著者のお話を聞くこともでき、その骨子は概ねこの本にあることと重なっています。

 

 

 

わたしは今回の『運動脳』という本の中で、以下が新たな情報でした。

 

脳が10%しか使われていないという説は迷信。エネルギーの消費量という観点でも迷信。

(コラムより)

新しい細胞は(よくない生活習慣のほか)高脂肪の食事、とくにバターやチーズに含まれる不飽和脂肪酸の取りすぎによって減少する。

(「不飽和脂肪酸」の取りすぎで新細胞が減る より)

年を取ってから「たまに近所を軽くジョギングする」といった程度では、前頭葉の萎縮は食い止められない。

(脳が3歳若返る「20分」の使い道 より)

わたしはたまにチーズを無性に大量に食べたくなったりするので、なんかうまく分散して満たしておかなくちゃ。

 

 

残る個人的な課題 ストレス耐性強化と博愛主義のバランス

著者の主張自体は、読む前からコミットしている、くらいの納得度です。

その上で、この本を読んでもなお残る、わたしが過去に陥った問題があります。

博愛主義的な社会のなかでの振る舞いを整えながら個人のストレス耐性をあげていくという、ちょっと複雑なバランスの取り方です。

 

ストレス耐性が上がるとタスクが多くこなせてしまうので、過剰に適応してしまいます。

あきらかに引き受けすぎという状況のコントロールは、認められたいという社会的な欲とのバランスになるので、ストレス耐性のベースを静かに鍛えながら、健康的な自尊心も育成していく必要があります。

わたしは運動のメリットを感じるがゆえにそれが罠となる、「躁的なやり方で打ち消す方法」の危うさを知っているので、ここはずっと観察していくべき課題と捉えています。

 

いまのところわたしは、多少引き受けすぎていても、普段よく接している人から「居てくれて助かった」と言われる喜びのほうが大きいので、そういう自分に対して正直であるようにしています。

こういう本は、読みながら過去を振り返れるのがいいですね。