うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

やっぱり私は嫌われる ビートたけし 著

『教祖誕生』という映画を観てその原作小説を読んで、そこから著者の死生観や宗教観に興味を持ち、いくつか本を読んできました。

このエッセイには『オレでなきゃ言えない「医療費」』という章があり、若い頃に親の病院付き添い・泊まり込み介助をされた経験が書かれていました。

 

 

それ以外の部分は、現代の価値観で言ったらコンプラ警察から袋叩きにされそうなことばかり書かれています。

昔のテレビやワイドショーの話題って、いま思うと「それの何がいけないの?」と思うことでも「この人はおかしくなっちゃった」という視点で揶揄するものが多かったなとあらためて思います。この本も、そんな話題ばかり。

 

 

一方で、それってこんなに前からそうだったの? と思うこともあって、早いうちからあれは気持ちが悪いとビートたけしは指摘していたのか、と思いながら読みました。

わたしは「桜を見る会」に爆笑問題日本エレキテル連合などの一目置いているお笑いの人が参加しているのを知ったときにガッカリしたのですが、あれが2015年頃のこと。

この本が出版されたのは海部首相の時代(平成2年~3年)ですが、総理大臣から招待状が来る場へ行くことについて、このように語られていました。

 昔の東欧諸国で一番上の人間に呼ばれたら、それは行かなきゃならないだろうけど、自由主義の社会でスポーツとか自分の芸を売って生きているってことを考えたら、絶対行くべきじゃないよ。

(”名人芸” のインフレ時代 より)

前に読んだ「弔辞」という本でシェイクスピアと道化の役割について触れられていましたが、道化を見る側だって、この根本を外されたら「なーんだ」とガッカリするものです。

この他にも、「バカな学者が価値の多様化時代なんていうからこんなことになる」という指摘など、いまこそ聞きたいと思う話がいくつかありました。

 

 

若い頃に経験された病院でのことは、こう書かれていました。

 その頃はもう松竹で漫才を始めていた。演芸場に出ていると、だいたい二回目の舞台が終わるのは五時くらい。それから病院へ行っておやじに飯を出して、世話をしていると、九時にはもう病院の電気は消えてしまう。こっちはそんなに早く眠れないから十二時過ぎまで懐中電灯で本を読むんだけどなかなか寝つけない。やっとウツラウツラし始めると小便だって朝の四時頃に必ず起こされる。それで下の世話をする。で、朝の六時にはもう起床。すぐに朝食の世話。これを一週間続けてごらん、必ず倒れるよ。床は冷たいし、風邪は引くしね。あればっかりはやった人間でないとわからない。

(生かされているだけの人 より)

はじめにお母さんが倒れ、お兄さんのお嫁さんがギブアップし、お姉さんもそれをやり・・・で、自分もやらないわけにいかなくなった経験が語られていました。

 

 

この本が出された時点で、いま70代半ばの著者が「オイラが老人になる頃には年金も健康保険も破綻しているだろう」と語っています。

身体だけ健康なボケ老人が増えていく未来を憂い "頭だけを鍛えることを考えたほうがいい" という意見は、いま聞くと新鮮です。