うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

生かされているというフレーズについて(2)

先日、かねてより理解できずに保留にしていたことについて、理解が深まる機会がありました。

 

 

  生かされている

 

 

これは日本語で書かれたヨガや仏教の本でよく見る文字列。識字できるから意味はわかるか、実際腹落ちするかというと、正直なところ「なんか大袈裟だな」と思っていました。

昭和の演歌に「わたしが死んだら」とか「いっそ死のうか」というフレーズを見たときにギョッとするような感覚に近いものが、ほんの少しですがあります。

 

 

ですが先日この本を読んで、ああ、そういうことだったのかと思うようになりました。

 

 

1920年前後の生まれの人たち

塚本幸一さんは太平洋戦争の生き残り兵。インパール作戦で感じたことが書かれていました。

ここでいったん話題をヨガに寄せます。

 

  • 塚本幸一1920年~1998年)
  • 沖正弘(1919年~1985年)戸籍上は1921年生まれ

 

このかたたちは、同世代。

そして同じ戦時中に、それぞれこのような経験をされています。

 

 

ガンジーが書いた1942年の7月に書いた文章「日本の全ての方々へ」のなかに、こんなくだりがあります。

世界の列強と肩を並べようというのは、あなた方の立派な野心でした。中国への攻撃と枢軸国との同盟は、実に、その野心を不当なまでに割り増したものだったのです。

 

 

沖正弘さんと塚本幸一さんは同時代の人ですが、ヨガの沖先生は、戦時中は軍の特務機関員として活動されていたようです。入隊検査を受けた・受けない・通った・通らないの事実はわかりません。

 

 

思想の背景を「戦争体験」でひとくくりにできない

『ブラジャーで天下を取った男 ワコール創業者・塚本幸一』を読んでわたしの認識が大きく変わったのは、軍隊の経験と状況も心情の複雑さについて、そのグラデーションをより細かく見るようになったことでした。

 

  • A :兵役に出た / B :兵役を免れた
  • A-1 :生きて帰った / A-2 :戦死した
  • A-1-1 :兵役に出て出撃し、敗戦で生きて帰った
  • A-1-2 :兵役に出て出撃し、敗戦前に途中で帰ることができた
  • A-1-3 :兵役に出たが、出撃しなかった
  • A-2-1 :敵から殺された
  • A-2-2 :餓死した、病死した
  • A-2-3 :自ら自決した
  • A-2-4 :上司から命じられて自決した
  • A-2-5 :戦力外であることを自認できず、味方に撃たれて死んだ

 

先の本にはA-1-1の塚本氏と、A-1-3の茶道裏千家15代・千宗室氏の交流が描かれていました。

戦争を知らない世代の「知らなさ」には、そもそも「志願した」「志願しなかった」という内面まで含めると事情が複雑すぎて、思考が届かない。

 

 

戦争を経験した人が「生かされている」と言葉にするとき、そこには「生きてしまった」「生きてしまっている」「生かされてしまっている」「生きている」「生きたい」が複雑な形でいくつもの影のように並存しています。

 

 

先の本の「宗教に心のよりどころを求めて」という章に、こんな話がありました。

戦争で生き残って経営者になってからのことです。

自然社という組織の小野悦師という人に会ったときのことが書かれていました。

 そこで小野に会うたびに疑問をぶつけ、教えを受けていったが、一番感動したのは、

「そもそも我々は生きているのではなく、生かされているのです」

 という、あの復員船で感じたことを小野の口から聞けたことであった。

 

▼ここで読むことができます

diamond.jp

 

塚本さんは、「生き残らせてもらったのに、上手にやれていない」という思考で自分を責めていた。それがこのエピソードから見えてきます。

 

 

生きてしまっている

わたしはこのような気持ちをこれまで想像できなかったのですが、ある映画をきっかけに、それを自然に想像しました。

日露戦争で出兵し生還した「村の誇りとなる模範的な人物」の話です。

 

 

「生きて帰ってきたぞ!(オラオラ)」から「生きてしまっている(コソコソ)」という状況に自分の立場が変わっていく人物が描かれています。清作という元兵士の葛藤を見ることで、「生かされている」という表現のグラデーションと奥行きを知りました。

 

 

そしてわたしは、この映画で清作が「生かされている」とは考えないところが好きです。

執着に対して正直になる試練を乗り越えたあとの自己肯定。

 

 

わたしはずっと「自己肯定感」という言葉の使い方がわからないのだけど、清作のそれは、まぎれもなく自己肯定。名誉欲も愛欲も肯定した強い人に見えました。

(これは増村保造監督×新藤兼人脚本での人間の解釈で、原作小説は結末が違います)

 

 

  *   *   *

 

 

心の底から納得していなかった言葉やフレーズを年数をかけて観察してみたら、見えてくるものがありました。

 

 

今日の話はこの話の続きでした。