うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

自分のなかの「しつこさ」をアーサナで中和する

身体を動かすヨガにもいろいろありますが、わたしは比較的運動量の多いヨガの練習を好んでします。シャバーサナも含めて、しっかり動いて、すこーんと休みたい。

 

先日ヨガの本を読んでいたら、長年のわたしのこの感じを説明してくれているようなことが書いてあって、ああなるほど、わたしは練習中に自分のなかのこういう面を解放して中和しているのか、と思いました。
読んでいるのはこの本(ババジ のクリヤー・ヨーガ)で、ヒンディー語で書いてあります。

 

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この中に以下のことが書いてあり、膝を打ちました。
日本語化するとこんな感じです。

ハタの文字(音)にはヨーガの二つのルーツ(語源)があります。「ハ」は太陽、「タ」は月です。
これらは人間の二つの種の視点で、男性性あるいは陽、女性性あるいは陰の割合です。
今日(こんにち)、ハタヨーガの身体的な面やアーサナは、最もそれと関係深いものです。
伝統的な教えには、その補助として呼吸のはたらきがあり、熟慮されたものです。
精神的なひたむきさでやり遂げることと、われわれ個人の(人格の)二つの面 ━━ しつこく明敏な男性性の面、受容的で洞察に満ちた女性性の面 ━━ それらの統合がアーサナの行為と保持を助けます。

ひとりの人間の中にある男性性と女性性の統合という部分が、とてもしっくりきます。
「しつこい」のところは、他の日本語でよりポジティブな言葉(ねばり強さ、とか)を選びたくなるところなのですが、わたしの内面を観察すると、「しつこい」のほうが実感に近いため、自分用に「しつこい」と訳しています。

 

わたしは自分の中で感じる男性性への効用として、練習をすることでスイッチをオフに切り替えることができたり、いまここで追求してもしょうがない「解決法探し」を終了させることができる、そういう実感があります。

女性性への効用は、小さなことを大げさに捉えていたものが「気にしすぎ」「推察しすぎ」という気持ちになれること。

 


こんなふうに、ひとりの人間のなかに男性性も女性性もある前提で、それを自分の中で統合するための方法としてヨガの練習を捉えなおすと、自分のなかの偏りをちょっと切り離して物質化して観ているような、そういう感覚になります。

瞑想の準備段階としてアーサナがあるというのは、もちろん安定した結跏趺坐のために股関節や膝・足首をほぐすというのもあるけれど、精神面ではこういう意味もあると思っています。