うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

瞑想中に息が止まっているときのこと

ヨーガ・ヴァーシシュタを読んでその内容を瞑想する、というのを本の提案通りにやりはじめてもうすぐ3週間になります。
初めの数日はうまくいったのだけど(←よくあるビギナー特典)、慣れると他に気になることへの想念が優勢になったりして、また聖典の世界に自分を戻す、ということを繰り返しています。
この「戻す」瞬間に、静かに息が止まっていることに気づきます。戻ったあとにはまた心地よくなりますが、それは息の量が回復してからのこと。


これはアーサナの練習中にもよくあることです。「えっと」と頭の中で意識を検索している瞬間に呼吸が停滞する。
わたしはカマル親方から、アーサナの練習では呼吸を止めないようにガイドすることがケガを起こさないためにも大切だと教わってきたので、練習中のスクリプトに「息して」「息してる?」という投げかけをよく入れますが、その重要性をあらためて認識しました。

 

聖典の内容を集中の対象として瞑想をするようになってから、「えっと」の瞬間に息が流れていない、吐いたまま止まっている「停滞」をよく見つけます。
アーサナの練習中に起こりがちな、呼気の後で止まっているのとは逆のパターン。(練習中に「プハー」と音がして、わたしが「こらー!」というときのあれとは逆ということです)


誰かに何かを質問されたわけでもないのに「えっと」とひとりで思っていることって、ありませんか。わたしはよくあります。そういう時も、呼吸が停滞している。

頭の中でいつも誰かへのプレゼンの予行演習をしている人は、かなりの時間、それが起こっているのではないかと思います。それでは脳に酸素がいかない。
モンキーマインドがモンキーしている時の呼吸の「停滞」は、じっと座った瞑想だと見つけやすいです。これは、陰ヨガの最中にも似たことを感じます。

ヨガ・ニードラは体位が呼吸の停滞を起こりにくくする、よく考えられたメソッドですね。背中を床につけて寝たまま息を止めるのって、座位よりむずかしいんです。身体を横向きにしないとむずかしい。

 


わたしはひとりで練習するとき、特にアクティブなフローの時は他人のガイド音声に頼ってきたのですが(DVDの音だけ聞いて動いています)、呼吸を促すガイドがケガを遠ざけるマントラのように効いている。座位での瞑想の中で、そのことにあたらめて気づきました。

 

吐いたまま考えてフリーズしていませんか。息してね。