うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

正欲 朝井リョウ 著

わたしはヨガクラスをするときに「うちこ先生」になるけれど、自分らしい生き方マーケティングシンプルライフマーケティングも苦難を克服マーケティングも求道者マーケティングも寄り添いメンター・マーケティングも引き寄せマーケティングも、そういう雰囲気とは絶対に距離をおきたい気持ちがあって、 "伝統・本物・本格" にはアウェイ感があって、本屋に平積みされている健康メソッド本で見る流行りのフレーズも避けたくて、こんなふうに15年かけてコツコツ貯めていった「やらないほうがよさそうと感じることリスト」のひとつひとつに背景があります。長い長いイヤイヤ期。

そしてその頂上に「繋がりマーケティング」があって、これをやらないと決めたら、このブログも終了することになる。

 


なのにいまだに、自分が嫌っているはずの物言いをやらかす。やらかさずにはいられない。このブログだって、いつ閉じてもいいのにまだ続けている。

これは一体、どこへの帰属意識

 


そんな逡巡を続けてきたわたしに、この小説はドーンと、大きなものを突きつけてきました。まるで山。「繋がり」への欲をわたしが潔く認めるまで、頂上直前の全方位の景色を見せて焦らしてくる。九合目まではケーブル・カーに乗せられたようにぐんぐん進んでいく。

自分の足で歩かないなんて登山じゃない。麓から行きたい、せめて五合目から……と考える旺盛な人が中途半端な気合いを示すと痛い目にあう。

 


「輝く自分」を「ヨガ」で「得られる」と信じたい人に、わたしはこの小説を絶対におすすめしません。それよりもこんな人におすすめです。

 

  • すてきだなと思ったヨガ講師の名前をインターネットで検索するとき、入力予測に「結婚」「結婚相手」「旦那」「夫」「嫁」「子供」が出てきてげんなりしたことがある
  • その存在に惹かれたグルやヨーギー、聖者の名前を検索するとき、入力予測に「死因」が出てきてげんなりしたことがある
  • 同時代を生きるヨガ講師の思考を覗き見したくてブログを検索したら、インストラクター資格を取って自立したい人向けのビジネス指南コンテンツ・集客ノウハウばかり出てきてげんなりしたことがある

 

パッと思い浮かぶ例を3つ挙げてみたけれど、わたしにはこういうストックがたくさんあって、そこから冒頭に書いたような考えを導き出しています。
わたしがそうすべきだと考えて続けてきたことって、なんなのだろう。もしかしてこれは『正欲』の精査?

 

わたしはこの小説にあった以下の部分を読んで呼吸が止まりました。

 一文字入力すると、予測変換の候補たちがすかさず手を挙げてくる。この、ユーザーの癖を記憶していることに胸を張っている感じが、いつでも腹立たしい。
 世界的に有名な企業で働いているような賢い人が、後ろめたいことだからこそネットで検索している人も多いということを想像できないはずがない。それなのに、どうしてこんな機能をユーザー全員に適応させるのだろうか。それとも本当に、世の中の大多数の人が、自分が検索した情報が蓄積されることを喜ぶとでも思っているのだろうか。

世界的に有名な企業で働いている “ような” 賢い人は母数を集め、そこに対する旺盛さをコミットできなければ隊員でいるのがむずかしくなる。AIの賢さに多様性を持たせるために母数が必要なんですと言われて納得できる人が賢い。

解析もサジェストもやるのはAIだけど、集合したものを集合知にするか集合欲にするかのアルゴリズムを決めているのは人間で、利益を出すなら迷わず後者。だって、大切じゃないですか。利益。利益がなければ雇用も生み出せませんよ?

 

母数の最大化に勤しめる人が賢い世界をわたしも見てきた。 

この仕組みのジレンマと葛藤の掘り下げを、まさか小説をきっかけに行うことになるなんて。母数を集めて、そこから足切りしたり排他するの? だったらはじめからカウントされないように、"排他される側が先に排他されておく権利" があったっていいじゃないか。わたしが考えてきたことは、こういうことなんじゃないか。

いったん繋がったふりなんてせずに、最初からピンポイントで繋がれたらいいのに。

 


この小説はブラックハットSEO・ホワイトハットSEOという言葉を知っている人なら読後は心の中でスタンディング・オベーションをするだろうし、Googleがホワイトでなくなっていくディストピアを悲観的に想像して絶望を先取りしている人の心も刺激する。
意味はこの本を最後まで読めばわかります。

 

正欲

正欲