うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

スクリーンが待っている 西川美和 著

なんとも言えない旨味の詰まったエッセイ集でした。リズムは軽いのに濃い。
映画『すばらしき世界』の構想段階から題名を伏せて書かれているのだけど、だんだん情報を公開できるようになって具体的になっていきます。


脚本を書く段階で取材・確認する現実社会のあれこれについて、とにかく文章がユニークで、次の段落へ移る直前のワンフレーズが絶妙。
それが時々声を出して爆笑してしまうレベルで、自虐も最適なタイミングで入る。効果的な自虐。


書かれている内容はだいたいとても苦しく、お世話になった長い付き合いの仲間をリストラする話もあり、その際の逡巡を文章にして発表する行為も含めてその勇気に驚きました。
かつては現場で映るものがすべてで動物的集中力が必要だったけど、いまは映像のデジタル化で俳優の歯の色だけ現実に近づけるなんてこともできる。テクノロジーの負う部分が大きくなって、自分の能力は置き去りにされていく。そういう思いも、淡々と書かれる事例のチョイスが絶妙。
それを作り手側の葛藤として書く本気度に魅了され、さっそく映画を観て、いまは原作本を読んでいます。

 

この本は、映画『すばらしき世界』を観る前に読みました。全くべつの理由で、この監督の文章を読みたくなるきっかけがありました。
少し前に遠藤周作さんの『海と毒薬』を読書会のために再読したときに、西川監督の映画『ディア・ドクター』を想起したからです。どちらも医師の話なのだけど、まるで逆ともいえるこの二つの物語について考えていました。

わたしは『海と毒薬』の主人公が、田舎で平凡な開業医になることを、それをサンカルパ(誓い・目標)として自分の人生のなかに取り込んでいれば・・・と思ったことがあって。
『ディア・ドクター』は、医師免許がないのに医師として人に寄り添っていく話。この物語の元になった実在のニュースを知ったときから、ずっと気になっていました。
そんなこんなで、最新のエッセイを読んでみたのでした。

 

このエッセイ集のなかに、ふたつ気になる視点がありました。
クローズアップしたいレベルで気になったので、クローズアップします。

 

イスラームの人たちへの挨拶への感想

インドネシアから日本へ来ていた技能実習生(映画の中で「あの人ヤクザですか」とか「100%ゴメンナサイ」と言う青年たち)の送別会に参加されたエピソードがありました。

 後輩の実習生一人一人がマイクを握って、まだおぼつかない日本語で卒業生らにメッセージを述べた後、いよいよ三人がマイクを持って、一緒に過ごした仲間や、仕事を教えてくれた先輩への謝辞を述べ始めた。「ありがとうございました」や「おせわになりました」という言葉と並んで、「もし嫌な気持ちにさせたことがあったら、ごめんなさい」というフレーズが、決まり文句のように後輩からも、本人たちからも、何度か聞こえた。インドネシアの別れの場面には、そういう言い回しがあるのだろうか。それとも彼らの人柄ゆえの口癖か。思いやり深い言葉だと思った。
(異邦の人 より)

わたしは7年前に『インドネシア イスラームの覚醒』という本を読んで、インドネシアでは断食明けの挨拶回りをする際に、「イドゥル・フィトゥリおめでとう。わたしの罪をお許しください」と、お祭りを祝いながら一年の非礼を詫びるという習慣を知り、それがすごく印象に残っています。


インドネシアでは、人間関係がいいことだけじゃないという前提が人々の交流の中に当たり前にあって、それを織り込み済みの独特の丁寧さがある。
わたしはイスラームの教えの深い合理性に惹かれ続けているので、この挨拶に西川監督が反応しているのを見て、「それ! そこ! そこ見つけてくれちゃった!」と熱くなってしまいました。

 

 

駆け込み訴え、の気持ち

わたしが西川監督の映像作品で初めて大きな衝撃を受けた、『駆け込み訴え』(原作は太宰治)のルーツとも思えるようなエッセイがありました。
監督が中学一年生で聖書を手にし、ユダとイエスのエピソードに初めて触れた時の感覚が綴られています。

「そりゃねーぜ」と中学生ながら思ったが、肝心なときにそんな言葉を選択したイエスの方にも珍らしく人間らしい感情を見た。
(みつけたともだち より)

西川監督の作品は恨みや怒りの感情を正当化する人を描きながら、同時に、恨まれる側が割り切ってしまいたくなるプロセスも見せていく。そこが魅力なんですよね。
このバランス感覚によって、観たあとに長くモヤモヤできる。何度も思い出すことになる。考え続けるきっかけをくれる。考え続けることで、自分を修正しようとする意識の源泉に近づくことができる。

時間をかけないとたどり着けないところへ導いてくれます。

 

西川監督は宗教観がないといわれる日本社会の中で、ものすごく重要な役割を果たす映画を作り続けている気がします。しかも、文章がべらぼうにおもしろい。
爆笑させられちゃうのだから困る。