うちこのヨガ日記

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インドネシア イスラームの覚醒 倉沢愛子 著


「民主化の成功」という国際評価の罠――インドネシアの政治から見えてくるもの」(SYNODOS)という記事を読んで興味がわいたので、少し前の本ですがインドネシアイスラームに関する本を読んでみました。外から見える国のイメージと実際の違いは、まさに自分自身が日本について思うところでもあり、こういうことは前のめりで情報を取りに行かないと見えてこないもの。
この本は「インドネシアイスラーム化の基礎知識」と「イスラームの習慣」と「日本が占領していた頃の失態」が織り交ざって語られているので、イスラームそのものに多少知識がないと読みにくいかもしれません。当時あまり意味がわかっていなかった「悪魔の詩訳者殺人事件」などはこの本を読むことで経緯を知ることができました。

インドネシアの中でも「良いイスラーム」「悪いイスラーム」の分類操作があり、マス・メディアなどによって非主流のものに対するネガティブなイメージが構築されているという。(229ページ)

このあたりの記述が読みどころ。国家の歩む道と、そこで陥りがちなわかりやすい二元論のネタとしてのイスラーム。日本はその「宗教」がないので、あっちこっちでネタを探しているだけで年月ばかりが過ぎて、はや150年(というのはなんとなく漱石グルジの生誕から計算)。



インドネシアの多様性のみとめかたのスタンスを追っていくと、いろいろ興味深く、複雑な土台を感じます。

<8ページ「はじめに」より>
 近代化論では一般に、近代化が進むと信仰にあまりにも時間やお金やエネルギーをかけることは少なくなっていくと解釈されてきた。しかしインドネシア社会は、反対に近代化や経済開発が進んできたまさにその時期に、宗教色が強まってきたのである。まさしく経済発展のまっただなかで台頭してきたイスラーム。その広がりにおいても、深まりにおいても重要さを増してきたイスラーム。いったいこの現象をどのように理解したらいいのだろうか。

イスラームは合理的すぎるんですよね。ほんと。



<234ページ「宗教対立の激化が意味するもの」より>
キリスト教を初めとする非イスラーム勢力に対しては非常に厳しいスタンスを取っている政府なのだが、それではインドネシアイスラーム国家の建設へ向けて進んでいるのであろうか。答えは「否」である、インドネシア共和国としては、複数の宗教を認める「パンチャシラ」による国民統合、という大原則は絶対に譲れないわけだから、インドネシアが今後イスラーム国家を目指すことはまず考えられない。政府もそれを明確に表明している。

という国なんだそうです。このあたり、ヒンドゥーイスラームの融合後のありかたとして興味深いです。



<180ページ「イスラームの残虐性を喧伝するための『陰謀』説」より>
 そもそもアフガニスタンイラクへの攻撃を行なったことに対し、アメリカに対するインドネシアの世論はただでさえ厳しいのだが、そのようなアメリカの覇権的な態度のゆえに、反米感情はいっそう助長されている。テロ撲滅のためにアメリカが行なう政策が、強い反感を生み、その反感や憎しみが更なるテロ行為を誘発しているかのようである。
 さらに、単に欧米諸国の介入への反発だけでなく、彼らの「陰謀」説すら出ている。つまり、非人道的な事件を起こしてそれをイスラームのせいにすることによってイスラームの残虐性を強調し、国際世論を喚起してイスラームの取り締まりを強化する試みだという解釈である。

日本はアメリカの子会社っぷりがすごいのですが、アジアは同胞。複雑な立場です。




日本がインドネシアを占領していた時代の話もちょいちょい出てくるのですが、2箇所だけ引用紹介します。

<41ページ「アッラーは偉大なり。アッラーのほかに神はなし」より>
 余談になるが、日本の占領時代(1942〜45年)、日本軍はインドネシアの住民に、東京の宮城に向かって最敬礼することを要求したが、これはキブラとは全く反対方向に頭を下げて礼拝まがいの行為をするようなものであったから、ムスリムたちの心をひどく傷つけた。

「うわぁ」と思うだけですまされない感じがする。



<182ページ「日本軍が教えた『ジバク』」より>
第二次世界大戦インドネシアを占領していた日本軍は、英米蘭などの連合軍に対する戦いはジハードであると宣伝して、日本に協力し一緒に戦うようインドネシアの住民を動員しようとした。そしてヒスブラーというイスラーム部隊を創設し、軍事訓練をほどこした。特攻隊精神で敵に体当たりして戦うことの尊さまで日本軍は教えたのである。

(中略)

だから「ジバク」という日本語は古い世代のインドネシア人にとっては、実になじみのある言葉なのである。

日本こわい。



226ページ「異端への迫害は魔女狩りにならないか」より>
 クルアーンアラビア語のまま学習することが求められているのはよく知られている。余談になるが、日本がこの国を占領していた時代、英語を初めとするほとんどの外国語が敵性言語として使用が禁止され、イスラームの勉強もインドネシア語か日本語でやることが求められた。この条例のために、ムスリムアラビア語が使えなくなり、クルアーンの正しい勉強ができなくなってしまった。その不備を指摘されてやがて日本は、急遽アラビア語を解禁したという経緯があった。

だんだん読むのがつらくなってきた。



わたしがこの本を読んで最も印象に残ったのは、ここでした。

<53ページ「断食明けの大祭」より>
 一夜明けて翌朝、つまりイドゥル・フィトゥリの朝は、再び礼拝から始まる。イマムやウスタッズに指導された礼拝のあと、人々はまず身近な人から始まって互いに家を訪問し、一年間の非礼や罪を詫びて歩く。路地裏は行きかう人々でごったがえし、ものすごい賑わいだ。会う人ごとに両手を重ねて握手をして、「イドゥル・フィトゥリおめでとう。わたしの罪をお許しください」と繰り返す。

なんか涙出る。



<102ページ「理不尽な妊娠でも許可されない妊娠中絶」より>
(事前補記:この本は2006年発行です)
現在、新聞などでしばしば議論されているのは、強姦により妊娠した場合の中絶でさえ許されないのかどうかという問題である。中東へ出稼ぎに行っているインドネシアの既婚女性が、雇用主側の男性に無理やり犯されて妊娠したというケースがよく報道されるが、現地で見つかった場合には、不倫だとして死刑判決を受けることもある。運よく帰国できてインドネシアの法体系のもとで保護されても、中絶はできないのである。

これは、いまはどうなってんだろ。



インドネシアの変化への対応力とその機微はとても興味深いものです。文明開化の頃の日本もすごかったけど、「合理性は買うけど、魂までは売らないよ」というスタンスで居られた背景にあるものが何なのか。
揺れながら回していく強さのようなものを感じます。

インドネシア イスラームの覚醒
倉沢 愛子
洋泉社
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