ヨガを長く続けている人と話をすると、日々起こる感情に対して客観視する癖がついているせいか、とても話しやすいと感じます。
その感じをずっと言葉にしたいと思っていたのだけど、できずにいました。
これは、ヨガを長く続ける人が捉える心理状態のひとつの定番じゃないかと思います。
わたしは客観視のフィルタを通すことが癖づいたときに気づく苦しい段階に、こんな状態があると思っています。
優越感で無双するか自虐で防御するかの二択へ向かう
精神の粗雑さ
長く続けている人は、何度もこれに気づく経験をしていないでしょうか。
優越感で無双するか自虐で防御するかの中間領域をぐわっと広げてくれるのが、古代のヨーギーたちが残してくれた教え。
わたしはそんなふうに理解しています。
* * *
優越感で無双するのは、20代30代は、たいがいやります。
たまに癒しキャラの人もいるけれど、癒しキャラで無双しています。
刀が柔らかいだけで、めっちゃ、ブンブン振っている。
それをどうやって抜け出していくかで差が出るのが中年期。
「優越感で無双する」というフレーズは、先日そのトンネルを経験した人が繰り出してくれたものでした。
「わたし、優越感で無双してた」
40代ってこういうことに気づくからしんどいのだけど、そのまま無双相手を探し続けるのは、もっとしんどいって、気づいちゃう。気づいちゃうよね。
年齢は関係ないという人がいるけれど、わたしは関係があると思っています。
どうやってそれに気づいたかの話は、将来的に蔵出しの鉄板ネタになるはずだから。
わたしがなんでも更年期のせいにしてはいけないと思うのはまさにこの葛藤で、これはホルモンバランスの揺らぎとは別のもの。
優越感で無双した経験も自虐で防御した経験も、サンスカーラになります。
サンスカーラというのは、そのパターンを選択するきっかけになる印象・記憶。
サンスカーラを更年期のカテゴリに入れてはいけない
このことは、これまでずっと自分の中に留めていたのだけど、自分なりに更年期の課題を切り分けて観ている人が多いことがわかってきて、「頼もしいじゃないかわたしの周りの更年期世代」と思ったので書きました。
サンスカーラは時期が来たら自然に鎮まるものじゃない。状態じゃなくて、デフォルトの機能。
「わたし、優越感で無双してた」と言っていたその人は、「その賞味期限が切れた」とも言っていました。
これは自分の中身が更新されたことに気づいたってことだと思うのだけど、昨今よく耳にするアップデートという言葉は、なんかピンときません。
外部に適合していくために行われるアップデートじゃなくて、内面で自発的に起こるアップデート。
こういう仄かな領域の話ができるのはたぶん今だけだと思うので、しんどいけれど見逃したくないなと思っています。