いま思うと30代って、めちゃくちゃ若い。バリバリのヤングです。
わたしは30代の前半にヨガ教室でインストラクターになりました。
自分より若い練習者の人もいたけれど、わたしはその頃教室の中では世代的に中心より少し下のかたまりにいました。いま思うと、あの年長者のかたは更年期といわれる時期で、それに戸惑っていたのかな……と思う振る舞いや会話が思い出されます。
その頃から、わたしは自分がその時期になったらなるべくリアルタイムで言語化を試みようと思ってきました。
この意思については、前にも少し書きました。
で、今日はその更年期のメンタルにある「落ち込み」「クヨクヨ」について。
この時期のそれを、なぜ更年期の特徴として扱うのだろう? という視点での観察記です。
わたしは更年期世代になってからの心の動きの特徴として言えるのが、以下だと思っています。
そのモードに入るきっかけが、
“あまりにも些細なこと” であること
これまで何度もやってきたような些細な失敗で、そのスイッチは入ります。
そのときの世界が、これまでと少し違うのです。自分のボキャブラリから「あちゃー」とか「ぎょぎょ」とか「ガビーン」とか「がちょーん」とか、そういうライトなフレーズが消滅しています。
わたしはこの感じを、
楽観の消滅
と捉えています。
悲観するのとはちょっと違っていて、悲観は自己憐憫に結びつきやすいけれど、それ以前に足元から地面がなくなるような感じがあるから、多くの人が戸惑うのではないか。
思春期に受験や就職といった将来のことを不安に思って悲観するのとは違う、楽観の源泉のようなものが薄まる瞬間があって、そのきっかけになるのはインパクトのある問題ではなく、些細な失敗。そういうところでスイッチが入る。
* * *
「落ち込み」も「クヨクヨ」も、そこからのこねくり回しも、それこそ幼少期からカウントしたら何百回・何千回・何万回と瞬間単位の気分として経験しているもので、べつに新しい感情ではありません。なんならこじらせのプロみたいなおばさん、おじさんだって出てくる年頃です。
ただ、スイッチの入りかたが違う。
だいじなことなので、もう一度言います。
きっかけが、あまりにも些細なこと
これが、いわゆるホルモンが減っていく変化の影響を多く含むメンタルの特徴じゃないか。
アタクシこのように観察しております。
若い頃からあちこちで他者の承認を求めてリカバリーをはかるスタイルでやってた人は、そこでサクッと悲観のほうへ舵を切って自己憐憫や自己卑下の手法をとると思うのですが、このブログをじっくり読むような人は、それを下品と思って苦しむ人たちじゃないかと思います。
(わたし自身がそうなので、そこはルイトモなんじゃないかと思っています)
* * *
そんなルイトモなあなたへ、わたしが現時点でこうじゃないかなと思っているのと伝えるならば、そこにあるのは「楽観の消滅」じゃないかということ。
ここ数年で「ああああー。更年期のメンタルって、これか」と思うことがありました。今日の文章は、そのときのマインドの観察から書いています。
そう。わたしは「あ。いま、楽観が消えた」という瞬間を見たのです。逆サマーディ、とでもいうのかなぁ。
そんな経緯もあって、いまは楽観というものの存在に注目しています。
パトラッシュ、僕は見たんだ。
「楽観」が消えた瞬間を。
いいですか。これはマントラです。"ふっかつのじゅもん" です。
みなさんも同じようなことがあったら、わたしと同じ上記のマントラを唱えて、ゆ~っくり、数分、リカバリーを待ちましょう。
大丈夫、少し待っていれば、じきにふっくらしてきます。
覚えましたか?
「パトラッシュ、僕は見たんだ。」
です。
覚えやすい、とっても短いマントラです。
わたしは「パトラッシュ」と言われたらコンマ1秒で「ランランラーン♪ ランランラーン♪」と、薄く楽観的なBGMを脳内で流せます。
物語はぜんぜん覚えてないんですけどね。
現場からは以上です。