「夕暮れどきのメンタル」について観察をしたり、自分なりに対応を試行錯誤した経験のある人って、どれくらいいるのだろう。
わたしは友人やヨガでお会いした人と「夕暮れどきのメンタル」について話したことがあって、個人的な経験や工夫について、重い話も軽い話もしました。
いろんな話を聞いたけど、わたしは平日の仕事で詰んでる感があると、夕暮れどきに少し歩く距離の場所へコーヒーを買いに行って、日没の影響をガツンと受けないように工夫をしています。
これは意識しないで自然にやっている人も多くて、職場の人とコンビニのコーヒーマシーンの前で会ったときに、言葉にしなくてもわかることだったりもします。
物理的にハッピー成分(セロトニン)の在庫が切れてきたら、別の方法でうす~く18時まで伸ばして、なんとか19時へ向かう。
もうこれは夕暮れハック。夕暮れライフハックです。
夜になってしまえば、脳も「夜」の生活を認識するように動いていきます。
移行の時間がやばいんだよね
これにうなずく人の多いこと多いこと。
わたしはこの心の現象を、30代前半頃までは “家に帰りたくなかった小中学生時代の気持ちの残像” と思っていました。サンスカーラだと思っていました。
だけど、それだけじゃなかった。それがわかったのが、ここ数年のことでした。
インドで日没の時間にお祈りするのは、ものすごく合理的です。
いまの40代・50代は
30代の頃はさまざまなホルモンが自動生成されていたので、この夕暮れ問題を今ほど明確に認識していなかったのだけど、これは年齢とともに習慣を変えていくことを脳が促していると思うようになりました。
集団の力や権力構造を活用した高揚感でホルモンの勢いを補おうとするメカニズムについて、なんだかむなしく感じるのは、とても自然なこと。
昔の人がヒロポンを打って得ていたアレを、別のシステムで再現しようとする行為のむなしさ、バブルの歴史の尻尾をうっすら見てきたのがいまの40代・50代。
それ以上の世代の人は、なんならヒロポンの勢いの尻尾の尻尾をチラッと見ていたりしないでしょうか。昔の映画を観ているとそう感じます。
グナやドーシャと、ホルモンの種類
わたしは、古代のインドの賢者があの手この手で表現しようとしたことって
セロトニンって、サットヴァ成分よね
ってことだと思っていて、これは若い頃の身体からは類推できなかったことです。
高揚感を伴うやる気とか達成感とかそういうのとは違う、もっとベースの安定感を担うもの。
これを再認識した上で、瞑想もその準備としての運動も、古代人のライフハックだったんだなと思うようになりました。
本を読んで知っていたことを、身体を通じて知っていった感じです。